北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

「島津に暗君なし」は本当か? 仙巌園を歩いて島津と薩摩について考えてみた

太守の鹿児島訪問記、名勝「仙巌園」(せんがんえん)に行ってきたので、今回は薩摩の島津氏についてじゃよ。 島津家別邸 名勝「仙巌園」 島津氏の出自~鎌倉から南北朝、戦国まで 島津氏の発祥。初代・島津忠久は源頼朝の落胤? 南北朝の内乱。島津貞久、三…

宇喜多秀家公潜居地跡~薩摩は牛根郷へ逃げた豊臣の貴公子を偲んで

太守の鹿児島訪問記。今回は垂水市牛根麓にある宇喜多秀家公潜居地跡についてじゃ。以前、八丈島に行ったとき、宇喜多秀家の墓参りをしたのじゃが、じつはそのときから機会あれば牛根にも訪れてみたいと思っていたんじゃよ。 ちなみに八丈島に秀家の墓を訪ね…

戦艦大和、第2艦隊の御霊に捧ぐ~枕崎の平和記念展望台に行ってきた

先日、所用があって鹿児島を訪問したので、枕崎まで足を延ばしてきた。目的地は、坊ノ岬沖海戦で海に沈んだ戦艦大和乗組員ら英霊たちを慰霊する平和祈念展望台じゃ。映画「男たちの大和/YAMATO」公開時には、ずいぶん注目のスポットだったようじゃが…

三浦義村の最期~三浦半島は金田湾岸、南向院跡にある墓前で合掌

きょうはぷらっと三浦半島の金田湾へ。金田湾は久里浜の南、県道215号沿いに広がりのんびりした海岸で、朝市も行われてる。ただ、今日の目的はお魚ではない。三浦義村の墓前に手を合わせてきたぞ。 つねに北条義時に与した三浦義村 三浦義村の急死。死因は脳…

嘉暦・元徳の騒動~北条高時、長崎円喜粛正を企てるもあえなく失敗した件

北条高時といえば、内管領・長崎円喜や外戚・安達時顕に政務を任せ、自らは犬あわせ(闘犬)と田楽にうつつをぬかした暗愚な人物、というのが世間一般の見方のようじゃな。この点については「太平記」はかなり大げさに書いている。さりとて全否定することは…

卯年生まれの戦国武将など歴史人物や有名人を調べてみた

令和4年(2023)は卯年である。そこで卯年生まれの歴史人物、戦国武将、幕末英傑、などなどをまとめておくぞ。 源頼朝~日本初の武家政権をつくった鎌倉殿 源義経~九郎判官、悲劇のヒーロー 北条泰時~御成敗式目を定めた名執権 伊達政宗~奥州の独眼竜は…

六代御前・平高清の墓~御最期川畔にあるにある平清盛嫡流終焉の地

逗子の田越川畔に「六代御前の墓」がある。かつて田越川のほとりは刑場であったことから「御最期川」とも呼ばれていたそうじゃが、六代御前は今から800年ほど前の正治元年(1199、諸説あり)、このあたりで処刑されたと伝えられている。 田越川(神奈川県逗…

安東忠家のこと~金窪行親とともに北条義時を支えた御内人

北条義時公を支えた側近、御内人として忘れてはならないもう一人が安東忠家じゃ。安東忠家と金窪行親はニコイチな名コンビとして『吾妻鏡』に登場してくる。そこで今回は安東忠家について紹介するぞ。

善児のモデル? 金窪行親のこと~北条義時を支えた謎多き御内人

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝公の退場が迫ってきた。これからは北条が、義時公が鎌倉のてっぺんになっていくわけじゃ。ところで、100年以上にわたり北条得宗家を支えていくのが御内人である。今回は、得宗被官、御内人の嚆矢のひとりというべき「金…

坂本龍馬の妻・おりょう(龍子)のこと~「まことにおもしろき女」の晩年

先日、横須賀をぶらぶらと歩いておったら、坂本龍馬の妻・お龍さんと会ったぞ。そういえばこの日は旧暦で、お龍さんの誕生日なんじゃな。竜馬の妻・楢崎龍は天保12年6月6日(1841年7月23日)の生まれ。幕末最大のヒーローの妻にしては、その晩年は寂しく、悲…

曾我兄弟の仇討ち—目的は頼朝暗殺?北条時政が黒幕?それとも範頼を担ぐ御家人のクーデター?

赤穂浪士の討入、伊賀越の仇討とならんで、日本三大仇討のひとつとされる曾我兄弟の仇討。この事件、たんに曾我兄弟が親の仇を討ったというだけではなく、じつは源頼朝公暗殺を目的としたものであったという説があるようじゃ。

スクープ!源頼家による安達景盛側室横恋慕&強奪事件の顛末

蹴鞠にうつつをぬかし、政治をほったらかしにしたなど、なにかと評判がよろしくない2代将軍源頼家公。その理由によく出てくるのが、土地をめぐる訴訟で「領地の多い少ないは運しだいだから、ごちゃごちゃいうな!」と絵図に一本線を引いた話じゃが(『吾妻…