数ある日本の名刀の中でも特別な存在とされる「天下五剣」。「童子切安綱」「三日月宗近」「大典太光世」「数珠丸恒次」とともに、その一振に数えられるのが、わが北条家相伝の「鬼丸」(鬼丸国綱)じゃ。今回は、歴代天下人も畏怖したという妖刀「鬼丸」に…
今回は斯波家長について。松井優征さんの「逃げ上手の若君」にも登場してくる足利一門におけるエリート中のエリートについてじゃよ。 斯波孫二郎家長(松井優征「逃げ上手の若君」)
今回はかつて訪れた旅の備忘録も兼ねて相馬中村藩について。相馬中村藩は6万石、藩主は相馬氏で家格は柳間詰め外様大名、後に帝鑑間詰め譜代大名に列せられている。戊辰戦争では初め奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦うも追い詰められて降伏。その後は…
今回は奥州相馬氏についてじゃよ。南北朝時代には足利方として陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦し、戦国時代を生き残り幕末維新を迎えた相馬氏は、なんでもそのルーツを平将門としているらしいぞ。
平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)
わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャ…
夏の長岡探訪備忘録のラスト。河井継之助の名言をいくつか集めて、わしもこれからの日々の仕事や人生の指針にしたいと思う。 河井継之助
今回も夏の長岡探訪備忘録の続きじゃ。北越戊辰戦争の激戦地、八丁沖古戦場パークに行ってきたので、その戦いと河井継之助の「口上書」(檄文)についてあれこれ書いてみたい。 八丁沖古戦場の碑(新潟県長岡市)
長岡探訪備忘録の続き。北越戊辰戦争の激戦地、摂田屋、榎峠古戦場、朝日山古戦場、森立峠など、ぶらぶらしてきたので、その旅日記じゃよ。 榎峠古戦場パーク
「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。
今日は、後醍醐天皇の護持僧・文観房弘真のことじゃ。房号は文観、法諱は律僧としては殊音、密教僧としては弘真。後醍醐天皇の中宮・禧子の安産祈願にかこつけて関東調伏を行ったということで、鬼界ケ島へ遠流になった妖僧じゃ。文観は後世、あまり良いイメ…
今回、せっかく小千谷に行ったので、東忠さんでランチをしてきたぞ。小千谷の東忠さんは江戸時代からの老舗。河井継之助は慈眼寺の小千谷談判のあと、ここで遅めの昼食をとったことでも知られる。当時の座敷も保存されていて、見学させてもらったぞ。 居食亭…