戦国・江戸
正月に井伊谷に行ってきた件をもう少々。井伊氏といえば彦根藩のイメージじゃが、ルーツはもちろんここ、遠州井伊谷。東京から新東名で浜松いなさICまであっという間。本来ならじっくり宿泊して回りたいところじゃが、今回は日帰りでサクッと回ってきた。
昨年末、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送開始を前に「井伊直虎は男だった?」という報道が流れて、歴ヲタ界隈はやや騒然となった。NHKさんは「ドラマはあくまでフィクションであり、影響はないと考えています」とコメントを出してはいるものの、これが…
大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」がはじまった。じつはわし、年始に井伊谷を訪れてしっかりと予習して初回放送に備えたんじゃが、おとわを演じる新井美羽ちゃんのかわいらしさもあり、大いに楽しませてもらったぞ。ドラマのキーパーソンとなる幼なじみの亀…
大河ドラマ「真田丸」が最終回。いやいや、さすが「真田日本一の兵」。戦場で源次郎と三十郎が槍を合わせる場面に感極まり、高梨内記の最期のシーンに涙腺決壊。してやられたわい。しばらくは真田丸ロスを発症する者が続出するじゃろうな。
え、ここがあの、上杉謙信後継をめぐって景勝と景虎が争ったという歴史的事件・御館の乱が起きた現場なのか? 謙信ゆかりの林泉寺に行った後、せっかくなので御館跡に立ち寄ってみたんじゃが……そこは人っ子一人、犬一匹、猫一匹いない公園じゃったよ。
佐渡旅行の帰路に春日山・林泉寺に立ち寄ってきた。林泉寺はご存知、上杉謙信ゆかりの曹洞宗の寺院。上越の歴史をいまに伝える名刹じゃ。この惣門も、春日山城の搦手門から移築したものと伝えられている。
今週のNHK大河ドラマ「真田丸」は、おそらく全50回の放送中、最大の見せ場であろう「犬伏の別れ」が描かれた。真田昌幸・信繁は石田三成に、真田信幸は徳川家康につくことを決断。父子3人、今生の別れとなるシーンじゃ。
さて、大河ドラマ「真田丸」がいよいよ佳境になってきたな。来週はいよいよ関ヶ原。視聴率もうなぎのぼり(?)なのかはわしは知らんが、今回、じつに胸熱じゃったのがここ。直江兼続が手紙を書いている……ひょっとして、ひょっとしてそれは……
先日、仕事で大阪に行ったんじゃが、空き時間にポケモンGO片手にふらふらしていて立ち寄ったお寺に、なんと茶々さまこと淀のお方さまのお墓があってな。いやいや、こんなところで、びっくりしたよ。
天皇陛下の「生前退位」報道でにわかに脚光をあびたのが第120代光格天皇。文化14年(1817)に仁孝天皇に譲位して以降、天皇の生前退位はおこなわれていない。けっして有名な天皇ではないが、幕末の尊皇思想に大きな影響を与えた天皇と言われておる。
7月15日は、豊臣秀次の命日だったんじゃな。豊臣秀次というと「殺生関白」というありがたくない異名もあってか、世間では暗愚なイメージも強い。それだけに、わし、彼を他人とは思えないんじゃよ。「真田丸」では、元・うたのおにいさんの新納慎也さんがけな…
それにしても「真田丸」はおもしろいのう。わしが主役だった「太平記」ほどではないが、昨年の「花燃ゆ」がボロボロだっただけに、余計に引き立つ感じがする(と書きつつも、わしは今でも井上真央さんが不憫でならんのじゃ。彼女はけっして悪くないんじゃ)…
いやいや、おったまげた。いまの教科書には「士農工商」って載ってないんじゃな。昨日、Twitterではじめて知ったよ。東京書籍のWebサイトによると、平成12年度の教科書から、すでに削除されているそうじゃが、これは衝撃じゃった! 小学校社会科に対するQ&…
遅まきながら映画「信長協奏曲」をみてきた。この手のドラマは細かいことを気にしてはいけない。小栗旬の高校生に無理があるとか、そういうのね。じっさい映画を見終わった後、つっこみどころは満載なんじゃが、それをあげつらうのは野暮というものよ。
いま、ネットで話題の「石田三成CM」。おそらく世界初の武将CMというふれこみで滋賀県が企画したもらしい。Twitterでもその破壊力、シュールさが「中毒性がある」とうけているようじゃ。 細かいところに小ネタがきいているし、この昭和臭にはノスタルジーも…
大河ドラマ「真田丸」がはじまったのう。昨年の「花燃ゆ」が「花燃ゆ」だったうえに、戦国モノ、真田モノ、三谷幸喜脚本で堺雅人さん、大泉洋さんの出演ということで、NHKとしては、まさに背水の陣となる大河ドラマといえるじゃろう。 初回の感想は……まあ、…
スマホをいじくっていたら、この夏、埼玉スタジアムに遠征する前に立ち寄った忍城趾関連の写真が出てきて、その中に「漆黒の魔人」こと正木丹波守が建立した高源寺の写真があった。そうそう、この男のことをブログにあげようと思っていたのじゃが、うっかり…
平成29年度 大河ドラマは、柴咲コウさん主演「おんな城主 直虎」に決定したとのこと。来年の「真田丸」に続き、2年連続で戦国ものというのはいかがなものかとも思うが、それはそれで楽しみじゃよ。ちなみにこちら、コーエーテクモゲームスさんの「戦国無双…
筆まめな伊達政宗さんが小姓の只野作十郎に宛てた恥ずかしいお手紙が現代に伝わっている。このお手紙をしたためたとき、政宗さんは50歳を過ぎているんじゃよな。 乙女かw ということで、全文、貼っておこう。
埼スタ遠征ついでに埼玉ぶらぶら。関東七名城のひとつ、和田竜さんの「のぼうの城」で有名な忍城跡にいってきた。 豊臣秀吉の天下統一の総仕上げ、小田原征伐で豊臣軍は北条方の支城をつぎつぎと落として進軍。その途上にあったのが忍城で、石田三成は2万の…
YOMIURI ONLINEにこんな記事が出ていた。 また遅刻と焦る政宗「徹夜で行く」秀吉に釈明? 「また遅刻」って、この見出しはいったいwwwww
先日、小早川秀秋の冤罪について書いたが、関連してその重臣・松野主馬重信についても紹介したいと思う。なかなか律儀な忠義者じゃよ。
「大関ケ原展」でどうしても気になった存在なのが小早川秀秋。「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と、大谷吉継に呪われて、関ケ原からわずか2年後の慶長7年(1602)、岡山城で狂乱して死亡したという逸話も有名じゃ(たぶん創作)。今回は、日本史上…
本日、大関ヶ原展にいってきた。GWということもあり、かなりの混雑で待機列は90分待。さすがにちょっとへこたれたけど、それでも十分に戦国浪漫を堪能してたぞ。
天正3年5月21日、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が雌雄を決した長篠設楽原の戦い。織田信長が当時最強といわれた武田騎馬隊に対して3000丁の鉄砲を用意し、三段撃という新戦法で壊滅的な打撃を与えた、あの有名な合戦じゃ。 信長が武田騎馬隊の進撃を…
すまんが、これも昨年のネタじゃ。年末、関西にいく途中に長篠城跡、設楽原に立ち寄ってきたときの話じゃ。 新東名浜松いなさICでおりて一般道をおよそ30分も走るとこの看板……
12月14日といえば、やはり「忠臣蔵」。元禄15年のこの日深夜(1703年1月30日)のこと。大石内蔵助良雄以下赤穂浪士四十七士は本所・吉良邸へ。そして吉良上野介義央を斬り、旧主・浅野内匠頭長矩の仇を討ち、本懐を遂げる。 やはり、この時期恒例というか季…
12月になった。今年1年を振り返りつつ、過去のブログ記事をぱらぱらみていたんじゃが、この夏に行った川中島のことを書いてなかったので、今更ながらエントリー。 今年も古戦場とかうろうろしていたんで、不穏な場所をうろうろしてきたんで、なんか背負って…
歴史好きなら一度は訪れておきたいスポットであることはまちがいなし。この夏、かねてから念願だった春日山城 址にいってきた。本来は大手道から歩いていくべきところじゃが、今回は時間が限られていたこともあり、中腹の春日山神社横の駐車場までクルマでい…
この夏、関西にいったとき、あべのハルカスに行ってきた。地上300メートル、日本一の高層ビルから大阪平野を眺め、太閤秀吉の大坂城を遠く見下ろしていると、まさに天下人の気分が味わえたぞ。