北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

戦国・江戸

大石内蔵助良雄「酒飲みの五箇条」

12月14日といえば、やはり「忠臣蔵」。元禄15年のこの日深夜(1703年1月30日)のこと。大石内蔵助良雄以下赤穂浪士四十七士は本所・吉良邸へ。そして吉良上野介義央を斬り、旧主・浅野内匠頭長矩の仇を討ち、本懐を遂げる。 やはり、この時期恒例というか季…

川中島の戦い…謙信も信玄も「はかのいかぬ戦」をしたものよ

12月になった。今年1年を振り返りつつ、過去のブログ記事をぱらぱらみていたんじゃが、この夏に行った川中島のことを書いてなかったので、今更ながらエントリー。 今年も古戦場とかうろうろしていたんで、不穏な場所をうろうろしてきたんで、なんか背負って…

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒…上杉謙信の居城・春日山城へ行ってた

歴史好きなら一度は訪れておきたいスポットであることはまちがいなし。この夏、かねてから念願だった春日山城 址にいってきた。本来は大手道から歩いていくべきところじゃが、今回は時間が限られていたこともあり、中腹の春日山神社横の駐車場までクルマでい…

真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由…真田信繁(幸村)を偲んで茶臼山から安居神社へ

この夏、関西にいったとき、あべのハルカスに行ってきた。地上300メートル、日本一の高層ビルから大阪平野を眺め、太閤秀吉の大坂城を遠く見下ろしていると、まさに天下人の気分が味わえたぞ。

桶狭間の戦い…御敵今川義元は、四万五千引率し、おけはざま山に、人馬の休息これあり。

先日、桶狭間の戦いについて書いたけど、今回はそのおまけ。最近の研究成果により、桶狭間の戦いのイメージは、かつてのそれとはずいぶんとちがってきているようじゃな。

豊明市VS名古屋市、桶狭間の戦いで今川義元が討死にしたのはどっち?

この夏、桶狭間に行ってきたので、今日はそのお話を少々。ごぞんじ、「うつけ者」の織田信長が「海道一の弓取り」今川義元を奇襲して見事に討ちとり、その名を天下に轟かせた、あの有名な合戦があったで地じゃよ。

鳥取籠城戦のマスコットキャラクター「かつ江さん」は、さすがにまずいでしょう。

鳥取市の“籠城戦マスコットキャラクター”「かつ江(渇え)さん」が公開中止になったらしい。「かつ江さん」は、鳥取城跡マスコットキャラクターの公募で次点に選ばれたキャラで、「鳥取の渇(かつ)え殺し」と呼ばれる羽柴秀吉軍による鳥取城の兵糧攻めをテ…

本能寺の変の核心に迫る?長宗我部元親、斎藤利三の書状が出てきた件

少し前のニュースじゃが、岡山県の林側美術館が所蔵する「石谷家文書」の中から、本能寺の変の「四国説」にかかわる新資料が発見されたとか。 林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー 本能寺の変につい…

木津川口の戦いと村上海賊

遅まきながら、2014年本屋大賞受賞作、和田竜さんの『村上海賊の娘』を読んだ。上下巻で3,200円ですから、「文庫化を待とうか?」とずっと思案していたところ、職場の先輩が貸してくれたので。 村上海賊の娘 上巻 村上海賊の娘 下巻

本能寺の変は明智光秀と徳川家康の共謀だった?

今日6月2日は「本能寺の変」が勃発した日。天正10年6月2日(1582年6月21日)のことじゃ。

八丈島の備前宰相・宇喜多秀家の墓参りにえっちらおっちら行ってきた

じつは先週、八丈島へ旅行にいってきたんじゃが、備前宰相こと宇喜多秀家の墓参りにいってきたぞ。 宇喜多秀家像(岡山城蔵) 関ケ原で敗れた宇喜多秀家は八丈島へ流罪に 宇喜多秀家の墓 宇喜多秀家と豪姫の像 関ケ原で敗れた宇喜多秀家は八丈島へ流罪に 宇…

北政所(高台院)と関ヶ原の戦い…おねさまは、ほんとうは石田三成を支持していた?

p>この記事は移転しました。

豊臣秀頼の父親は誰か? ほんとうに淀殿と秀吉の子どもなのか?

今日はDVD「茶々 天涯の貴妃」をレンタルして、午後、のんびりとみていたのじゃが……感想とコメントはいっさい差し控えて、とりあえず今回は「豊臣秀頼の父親は誰か?」について下世話な話をしたいと思うぞ。 淀殿(Wikipediaより)

油壺—戦国・三浦氏最期の地

油壺湾の夕景。「あぶらつぼ」って、ちょっと変わった名前jじゃが……