鎌倉・室町
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は大いに盛り上がっておるようじゃな。早くも源頼朝公の挙兵、山木館襲撃へとすすんでいくわけじゃが、ドラマで完全に憎まれ役となっている山木兼隆と堤権守信遠について、まとめておくぞ。 山木兼隆 『頼朝旗起八牧館夜討図』
伊豆の国市は江間にある北條寺には、2代執権北条義時公と伊賀の方夫妻のお墓がある。北條寺は義時公による創建じゃ。かなり昔に訪問記を書いたのじゃが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まったし、義時公をとりまく女性、姫の前、伊賀の方、阿波局について…
今回は、伊豆国の大豪族・伊東祐親について。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、娘の八重と頼朝の絆を引き裂き、頼朝を執拗に追い詰める「じさま」こと祐親を、浅野和之さんが演じておられるが、はたして実際はどいうだったのか。
伊藤祐親の娘・八重姫。源頼朝公と恋仲になり、子を宿したが運命に翻弄された女性。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では新垣結衣さんが演じ、にわかに脚光をあびることになったので、今回は八重姫について紹介するぞ。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がはじまった。三谷幸喜さんはネタ本は『吾妻鏡』といってるし、今日は『吾妻鏡』についてじゃよ。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画のラスト13人目は北条義時公のこと。執権政治を確立し、武家の都・鎌倉の基盤をつくった「得宗」の祖、ドラマで演じるのは小栗旬さんじゃよ。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の12人目は和田義盛のこと。ドラマで演じるのは横田栄司さんということじゃが…和田義盛は、なんかもう、いろいろとw あれもこれも書き出すときりがない御仁なので、今日のところ…
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の11人目は三浦義澄のこと。ドラマで演じるのは佐藤B作さんじゃ。同じ三浦党の和田義盛をはじめ、鎌倉開府に尽力した坂東武者はどうも猪突猛進の印象があるが、三浦義澄は分別…
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の10人目は比企能員のこと。ドラマで演じるのは佐藤二朗さんじゃよ。 鎌倉・妙本寺(北条氏に滅ぼされた比企能員の館があった)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の8人目は八田知家のこと。南朝の臣として活躍、戦国時代まで続いた常陸小田氏の祖じゃ。 八田知家(Wikipedia)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の7人目は安達盛長のこと。盛長は源頼朝公の伊豆流人時代からの側近で、鎌倉幕府を代々支え続けた安達氏の祖じゃ。 安達藤九郎盛長坐像(放光寺所蔵)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の6人目は足立遠元のこと。遠元は鎌倉幕府公文所の寄人をつとめた有力御家人の一人じゃよ。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の5人目は二階堂行政のこと。行政は代々幕府政所執事をつとめた二階堂氏の祖じゃ。 鎌倉殿の13人
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく4人目は梶原景時。源頼朝公の命の恩人ともいうべき側近中の側近じゃが、義経殿の悪口を讒言してたなどといわれ、何かと評判がよろしくない。ちなみに、大河では中村獅童さんが演じる…
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく3人目は鎌倉幕府初代問注所執事・三善康信じゃ。大河で康信を演じるのは小林隆さん。三谷幸喜作品ではおなじみの役者さんじゃな。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく2人目は中原親能じゃ。現時点では、大河で親能を演じる役者は発表されていないが、大江広元の義兄で鎌倉開府の重要人物のひとりじゃから、誰が演じるのかは注目じゃな。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のためのに、13人を順番にまとめていく2人目は大江広元じゃ。やはり三谷大河の「真田丸」で真田信尹を好演した、劇団四季の栗原英雄さんが広元を演じることになっておるぞ。 大江広元
得宗の祖・義時公が父・時政公を追放した「牧氏事件」。時政公失脚の原因をみていくと、そこには前妻の子であった政子殿や義時公と、後妻の牧の方の軋轢が見え隠れする。 北条義時
源頼朝公は相模川に橋供養に出向いた帰路、落馬がもとで体調を崩し、亡くなった。ただ、その死については、さまざまな憶測があり、暗殺説すらある。はたして頼朝公の死因は何であったのか。
仁田(新田)忠常について。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、お笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行さんが演じるということで注目を集めている。 仁田忠常
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送開始前に予習をしようと思い立ち、本日は北条義時公についてまとめておこうと思う。源頼朝公室・政子殿や初代得宗義時公の御父上であり、北条執権政治の嚆矢である時政公。大河では坂東彌十郎さんが演じることになってお…
元弘3年(1333)、北条高時以下一族門葉は、新田義貞に攻め込まれ、東勝寺の炎の中で自刃し、鎌倉幕府は滅亡した。ただ、その後も北条与党はさまざまな思惑をもって各地で蠢動する。今回はそのあたりを少々。
わし北条高時の遺児・邦時こと万寿丸と、時行こと亀寿丸について。鎌倉幕府が滅亡したのは元弘3/正慶2年(1333)5月22日のこと。その直前、新田義貞が鎌倉に攻め入る前に、わしは二人の息子を逃そうとしたんじゃ。
中先代の乱のきっかけ、戦いの経緯、結果までを解説。「逃げ上手の若君」で人気の北条時行、諏訪頼重について紹介するぞ。
信濃守護の小笠原貞宗。松井優征さんの「逃げ上手の若君 」に北条時行の敵方として登場し、注目を集めているようなので、少し紹介しておこう。ちなみに、「逃げ上手の若君」では、こんな感じで登場するぞ。 小笠原貞宗(松井優征「逃げ上手の若君」第1巻 集…
九条(藤原)頼経について書いておきたい。源実朝公のあと、頼朝公の遠縁として九条家から迎えられた「摂家将軍」のことじゃよ。 九条(藤原)頼経
さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。 後醍醐天皇
きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが…… 後鳥羽上皇
先週、所用で京都にいってきたのじゃが、ついでなので六波羅に寄ってきた。
かつて承久の乱のことを備忘録代わりにつらつら書いたが、鎌倉武士なのに後鳥羽院に味方した三浦胤義とその妻のことがどうしても気になったので、少し書いておく。 瀬田の唐橋