北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

鎌倉・室町

源頼朝公の謎死。死因は落馬?怨霊?糖尿病?それとも暗殺?

源頼朝公は相模川に橋供養に出向いた帰路、落馬がもとで体調を崩し、亡くなった。ただ、その死については、さまざまな憶測があり、暗殺説すらある。はたして頼朝公の死因は何であったのか。

聖徳太子『未来記』とは? 楠木正成も読んだ予言書の謎と真相

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護良親王(大塔宮)、暴れん坊の宮様の生涯と壮絶な最期

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市河助房〜「逃げ若」にも登場、時行と戦った信濃の武将

市河助房(「逃げ上手の若君」より) さて、今回は信濃国の武将・市河房助についてじゃ。アニメ「逃げ上手の若君」では、あの「キター!」という織田裕二ネタで著名な山本高広さんが声をつとめるようじゃな。山本高広さんって、声優だったのか? それはとも…

隠岐に遠流となった後醍醐天皇はどんな生活をしていたのか〜島前の黒木御所と島後の国分寺

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後醍醐天皇、隠岐脱出大作戦。どうやって島を抜け出したのか?

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後醍醐天皇暗殺未遂事件。西園寺公宗と北条泰家による大胆な陰謀

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「二条河原の落書」を全文超訳してみた! 建武年間、この頃都に流行るもの

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鎌倉陥落。北条高時の遺児はどうなったのか?〜五大院宗繁に裏切られた兄・邦時、諏訪に逃れた弟・時行

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三浦党・津久井氏のこと〜義行から高重までプチ解説

三浦半島一帯を治めた三浦党・津久井氏。横須賀の東光寺には津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔がある。 東光寺(神奈川県横須賀市)

北条時行は、なぜ後醍醐天皇の南朝に帰参したのか〜ただ尊氏直義等が為に其恨を散ん事を存ず

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建長の政変〜足利泰氏はなぜ自由出家で処罰されたのか

北条得宗家による専制政治が始まるのは北条時頼公の時代である。宝治合戦で三浦が滅び、建長の政変で摂家将軍を廃して親王将軍を擁立したことで、将軍権力が弱まり執権北条氏、特に得宗家への権力集中が進んだのじゃ。今回は「建長の政変」についてまとめて…

北条宗時のこと〜義時の兄は源頼朝旗揚げのキーマンだった!

「鎌倉殿の13人」で注目された、義時公の兄・北条宗時殿は、はたしてどんな人物だったのじゃろうか。源頼朝の旗揚げにキーマンとして尽力し、非業の死を遂げた宗時殿について、まとめておくぞ。

斯波家長のこと〜「逃げ若」にも登場する足利の若き奥州総大将

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相馬氏のこと〜陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦した平将門の末裔

今回は奥州相馬氏についてじゃよ。南北朝時代には足利方として陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦し、戦国時代を生き残り幕末維新を迎えた相馬氏は、なんでもそのルーツを平将門としているらしいぞ。

平景隆のこと〜文永の役で蒙古と戦い、討死した壱岐の守護代

平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)

北条泰家のこと〜「逃げ若」にも登場する高時の弟、時行のおじさん

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宮騒動とは? その顛末を「吾妻鏡」から拾って解説してみた

「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。

文観房弘真〜後醍醐天皇を影で支えた妖僧

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北条高時腹切りやぐらに参拝される方へ。心霊スポットではないから肝試しはやめましょう

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阿蘇流北条氏4代、時定・貞宗・随時・治時〜北条時宗の肖像画が別人だった件も解説

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北条高時をめぐる女たち〜逃げ若・時行ほか家族についても紹介するぞ

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大庭景親と景義〜平氏か、源氏か。運命を分けた兄弟のこと

今日はぷらっと大庭に出かけたので大庭景親と景義について書いてみたいと思う。大庭景親は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では國村隼さんが実に味のある演技をしておったな。 國村隼演じる大庭景親(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」)

長崎円喜・高資父子〜鎌倉幕府を動かした御内人筆頭の内管領

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吉川英治『私本太平記』の鎌倉炎上、北条高時最期の場面を読み返してみたが…世の中、謡のようには参らん

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赤橋守時、鎌倉幕府最後の執権〜一日一夜に65度も吶喊、洲崎に散る

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鎌倉幕府は「どこ」にあったのか?〜大蔵御所、宇都宮辻子御所、若宮大路御所

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三浦大介義明と衣笠城合戦〜鶴は千年、亀は万年、三浦大介百六つ!

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源頼朝上陸地〜石橋山に敗れた頼朝はなぜ房州で再起できたのか

浦賀水道を渡り、安房へ行って来たんじゃが、源頼朝公が上陸した地の石碑があったので、今回は石橋山の戦い後、安房に逃れた頼朝公がどう行動したのかを紹介してみたいと思うぞ。 源頼朝上陸地

三浦義村の最期~三浦半島は金田湾岸、南向院跡にある墓前で合掌

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