北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

安政の大獄を主導した長野主膳が吉田松陰直筆の辞世をもっていた件

今週、吉田松陰の辞世の書が発見されたというニュースがあった。しかも、それがなんと、安政の大獄を主導した「陰の大老」ともいわれる彦根藩長野主膳の手紙といっしょに出てきたというから、ちょっと驚きじゃ。

 吉田松陰直筆の辞世、敵方から発見 彦根藩が関心か

 朝日新聞によると、井伊直弼の伝記執筆のための史料を収集していた井伊美術館の井伊達夫氏が、直弼の側近・長野主膳の手紙などを貼り付けた巻物を古物市で入手。辞世の書は、巻物に添付された和紙に記されていて、そこには主膳自筆の裏書きがあり、牢役人を通じて入手した旨が書かれていたそうじゃ。

 
発見された辞世の書はこちら。
此程に思定めし出立は けふきくこそ嬉しかりける
(死への覚悟はできており、きょう死ぬことを聞いてもうれしく感じる)
山口県文書館に保管されている「絶筆」と同じ内容じゃ。
なお、松陰の名は「矩方(のりかた)」ですが、発見された辞世には山口県文書館のものと同様に「矩之」と書かれていた。これまで、松陰は処刑前に取り乱して辞世に名前を書き間違えた、などという人もいたが、そうではないことがはっきりしたわけじゃ。佛教大学の青山忠正教授(日本近代史)によれば、「刑死で名を汚さないようわざと改名した可能性が強いのでは」とのことで、このあたり、いかにも松陰らしいのう。
 
敵味方にわかれたとはいえ、長野主膳国学に造詣が深い人物でしたから、松陰の処刑にあたり、なにか思うところがあったのかもしれんの。ワシもそうじゃが、だれも好き好んで人を罰したり、陥れたりする人はおらんからな。おだやかがいちばんじゃよ。