仁田(新田)忠常について。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、お笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行さんが演じるということで注目を集めている。
頼朝、頼家から信頼された仁田忠常
仁田忠常は、伊豆国の住人。伊豆挙兵から源頼朝公に従い、その信任を得た。源平の合戦では源範頼殿に従って各地を転戦し、奥州藤原攻めでも武功を挙げている。『曽我物語』には、富士の巻狩りにおいて、突進してきた手負いの大猪に飛び乗り、とどめを刺して仕留めた武勇が紹介されている。
それはともかく、忠常が病で生死の淵にあったとき、頼朝公は見舞いのために屋敷を訪れたという。その信頼の厚さがうかがえる。あの曽我兄弟の仇討で、兄の曽我祐成を討ち取ったのも忠常じゃ。頼朝公の死後は跡を継いだ2代将軍・頼家公からの信任も厚く、嫡男・一幡の乳母父をつとめている。やはり、ひとかどの武将であったのじゃろう。
建仁3年(1203年)9月2日、「吾妻鏡」によれば、北条時政公に比企能員討伐の相談を受けたとき、仁田忠常は能員を屋敷に呼んで誅殺することを進言したとい。そして、じっさいに天野連景とふたりで、能員を殺害している。
比企能員の乱後、謀反の嫌疑で誅殺
しかし、この変の後、仁田忠常もまた、わけのわからない経緯で殺害されてしまう。病状が回復した源頼家公は、一幡と比企一族の最期を知ると激昂し、仁田忠常と和田義盛に、時政公追討の御教書を出した。このとき、和田義盛は熟慮の末、顛末を時政公に通報している。
いっぽう仁田忠常は、事件の4日後、能員追討の恩賞を与えるとして、時政公から名越邸に呼ばれて出かけていった。しかし、屋敷に入った忠常が夜になっても出て来ない。そこで不審に思った従者は弟の五郎と六郎にこのことを報告した。
「これは御教書のことが露見したか!」
「もはやこれまで」
かくしてふたりは北条義時邸に攻め寄せ、あえなく討死してしまう。
いっぽい忠常は、時政公の名越邸を出て帰宅する途中、この軽挙を知る。そこで急ぎ御所に向かうが、弟たちの軽挙を理由に謀反を疑われ、加藤景廉に討ち取られてしまうのじゃ。
人穴に忍び込み、霊峰富士の天罰がくだった?
先にも述べたが、「曾我物語」によれば、忠常は富士の巻き狩りで大猪を仕留めている。ただ、この大猪はじつは山の神の化身で、忠常の死はその祟りによるものだともいう。
さらに「吾妻鏡」には、忠常は頼家の命令で浅間大菩薩の御在所である富士山の「人穴」に侵入したため、神罰に触れたということをにおわせている。
建仁3年(1203)6月、富士の狩り場に出かけた頼家公は、人穴の調査を仁田忠常に命じた。いったいどういう意図があったのかは知らぬが、とにかく忠常は家来を連れて6人で人穴の探検に向かった。
真っ暗な洞窟は狭く、踵を返すこともできない。蝙蝠が面前を飛び、足元には蛇が這う。洞窟の奥には大河が流れていて渡ることができず困っていると、川向こうに光がみえ、たちまち家来4名が急死してしまう。
驚いた忠常は頼家から授かった御剣を川に投げ入れなんとか助かり、て立ち去った。そして「往還一日一夜」、忠常はようやく人穴から出ることが出来たという。土地の古老は。「これ浅間大菩薩の御在所、往昔以降敢えてその所を見ることを得ず」と語ったという。