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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

鎌倉幕府の最終兵器・嶋津四郎、名馬「白浪」を駆り、いざ出陣!

さて、鎌倉幕府最期の日についてもう少しだけ続きを。稲村ケ崎を突破した新田義貞軍は、一気に鎌倉市外へと乱入した。「太平記」には、そうした劣勢の中でも最後まで戦う北条武士を描いているが、もちろん、そんな立派な人ばかりだったはずはない。

醜態をさらした人物の代表格として、「太平記」は、嶋津四郎なる男を登場させている。ワシの陣中にいた嶋津四郎という武士は執事の長崎円喜が烏帽子親をつとめた剛の者。ここぞという場面で最終兵器として働かせようと、ワシの側近くに待機させていたんじゃ。 

新田義貞軍が若宮大路まで攻め込んでくると、ワシは嶋津四郎を呼んだ。いよいよ最後の決戦に最終兵器を投入するのじゃ。

ワシは自ら酌をして酒を勧め、関東無双の名馬「白浪」と銀の鞍を与え、この嶋津四郎を送り出した。

先の大戦における戦艦大和のようなもんじゃ。あわよくば義貞の首を…そんなワシらの期待を一身に背負い、嶋津四郎は名馬にまたがり、さっそうと出陣していったんじゃ。
嶋津、門前より此馬にひたと打乗て、由井浜の浦風に、濃紅の大笠注を吹そらさせ、三物四物取付て、あたりを払て馳向ければ、数多の軍勢是を見て、誠に一騎当千の兵也。此間執事の重恩を与へて、傍若無人の振舞せられたるも理り哉、と思はぬ人はなかりけり。義貞の兵是を見て、「あはれ敵や。」と罵りければ、栗生・篠塚・畑・矢部・堀口・由良・長浜を始として、大力の覚へ取たる悪者共、我先に彼武者と組で勝負を決せんと、馬を進めて相近づく。
由比ヶ浜の海風に、濃紅の大きな笠印をなびかせて戦場に駆け付けた嶋津四郎。その颯爽とした姿に敵も味方もどよめき、固唾をのんでみつめたという。しかし、嶋津四郎は、思いもかけぬ行動に出たんじゃ。
懸る処に嶋津馬より飛で下り、甲を脱で閑々と身繕をする程に、何とするぞと見居たれば、をめをめと降参して、義貞の勢にぞ加りける。貴賎上下是を見て、誉つる言を翻して、悪まぬ者も無かりけり。是を降人の始として、或は年来重恩の郎従、或は累代奉公の家人とも、主を棄て降人になり、親を捨て敵に付、目も不被当有様なり。凡源平威を振ひ、互に天下を争はん事も、今日を限りとぞ見へたりける。
なんともしまらない、珍妙なお話じゃが、命あっての物種じゃからな。いざ鎌倉も御恩と奉公も、それはそれ、これはこれ。「凡源平威を振ひ、互に天下を争はん事も、今日を限りとぞ見へたりける……」と太平記読みが嘆いても、こればかりはもうどうにもならぬよ。
ひどい男じゃが、こんなやつはたくさんいたんじゃよ。