日刊SPA!とやらのWebサイトで、こんな記事をみつけた。
「霊処浄域につき参拝以外の立入禁止」という立て札が目に入らんのか!
まず、はっきりいっておくが、ここは心霊スポットではないぞ。もちろん、東勝寺合戦とはなんらかの関係がある場所なんじゃろうが、ワシら北条一族はこのやぐらの中に入って腹を切ったわけではない。だから夜中に肝試しとか、近隣住民の迷惑になるから、くれぐれもやめるように。そして訪問する時は、霊処浄域ということを忘れないようにしておくれ。
ちなみにワシらが腹を切ったのは東勝寺じゃ。ただ、この近くにある東勝寺跡での発掘調査では、高温で焼けた土層はあったものの、そこから遺骨は出てこんかったらしい。骨は新田の兵や時宗の僧侶たちによって葬られたといわれておる。
で、昭和40年代、鎌倉市浄明寺の釈迦堂奥やぐら群では大規模な宅地開発があり、その際に「元弘三年五月廿八日」の銘のある五輪塔の一部が発見されたそうじゃ。そう、東勝寺合戦から初七日にあたる日じゃな。釈迦堂の奥やぐらには、古くから戦死者の遺体を葬ったとの伝承があったんじゃが、まさにそれが裏付けられたというわけしゃな。
なお、腹切りやぐらを管理している宝戒寺は、かつて北条執権邸があった場所で、足利尊氏がワシらの供養のために建立したお寺じゃ。宝戒寺には徳宗大権現社という、ワシを祀る祠があり、毎年、命日の5月22日には法要が営まれておる。機会があれば、ぜひ、お越し下され。
さいごに、ワシの廟所は北鎌倉にある円覚寺塔頭の佛日庵じゃ。Wikipediaには、この腹切りやぐらがワシの墓所と書いてあるが、それは間違いじゃから、ここにねんのため付記しておく。