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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

朝比奈三郎義秀…小坪の浜でサメ三匹を捕まえた本朝無双の剛勇

この夏、茅ケ崎の沖合にサメが出没したことから、湘南海岸一帯は遊泳禁止となってしまった。海の家など、商売上がったりで、さんざんな夏になってしまったようじゃな。さて、湘南とサメといえば……本朝無双の豪傑と言われた朝比奈三郎義秀じゃな。

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朝比奈三郎義秀は、鎌倉幕府御家人で和田義盛の三男。母は不詳じゃが、「源平盛衰記」では、木曽義仲に寵愛された女武者・巴御前を母としている。その武勇にほれこんだ義盛が巴御前を所望し子をなし、生まれたのが義秀だというのじゃ。もちろん史実ではないが、義秀の剛勇がこうした創作を生み出したともいえるじゃろう。

吾妻鏡」の正治2年(1200)9月2日の記載に、朝比奈義秀のこんな逸話がのっておる。将軍・源頼家公と若手の御家人たちは小壺の浜で船を出して酒宴を催していた。そのとき、頼家公は水練の達者と聞き及ぶ義秀に、その芸を見せるよう命じたのじゃ。

義秀辞し申すこと能わず。則ち船より下り海上に浮かび、往還十を数う。結句波の底に入り暫く見えず。諸人怪しみを成すの処、生鮫三喉を提げ、御船の前に浮上す。満座感ぜざると云うこと莫し。

サメ三匹!ありえんじゃろうwww と思うかもしれぬが、朝比奈義秀は剛の者。朝比奈切通を一晩で開削したという伝説も残っておる。

さらに宮城県大和町にも、同じような伝説があって、朝比奈義秀が松島湾を掘削し、掘った土で同町にある「七ツ森」という山を造ったといわれており、なんと、「アサヒナサブロー」なづ、ゆるキャラまで作られ、地元の人に愛されているそうじゃ。

 

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和田合戦では、朝比奈義秀は大活躍をみせる。将軍御所の惣門を打ち破って南庭に乱入し、敵を次々に斬り伏せ、北条よりの記載が目立つ「吾妻鏡」すらも「就中義秀猛威を振るい壮力を彰わす。すでに以て神の如し。彼に敵すの軍士等死を免がること無し」と、その武勇を賞賛している。和田義盛軍が敗れた後、義秀は由比ガ浜から安房国へ逃れる。そして高麗へ渡ったとの伝説があるそうじゃが、いずれにせよ消息は不明である。