暇にまかせてNHKオンデマンドで大河ドラマ三昧。昨今、大河ドラマは逆風が吹いていて、「花燃ゆ」なんぞ各方面からボロクソなわけじゃが、この数日で「草燃える」をみて、いわれても仕方がないかなと、あらためて感じた次第。
「草燃える」は永井路子さんの小説3冊『北条政子』『炎環』『つわものの賦』が原作。源頼朝公の旗揚げから承久の乱までの鎌倉幕府草創期が舞台じゃが、じつはこの物語の主人公は石坂浩二さんの源頼朝公でも、岩下志麻さんの北条政子殿でもなく、松平健さん演じる北条義時公といってよいじゃろう。郷ひろみさんの源頼家公も秀逸じゃったがな。
控えめで目立たなく、いかにも人が良さげな青年・江間小四郎義時公が、どんどんどんどん権謀術数のワルになっていき、ついには天下を簒奪する。源頼朝公の死後、尼御台の北条政子殿はオロオロしているばかりじゃが、義時公は父・北条時政公を追放するや、とんでもないワルに豹変していく。
そんな義時公の豹変ぶりを松平健さんが怪演。キョドキョドしていた小四郎が天下の執権に成り上がっていく様を見事に演じて、その貫禄は恐ろしいほどじゃった。
「政子の陰に隠れ、目立たぬように、目立たぬようにと振る舞いながら、涼しい顔で人を陥れる。治承の旗揚げの時には嫌々戦に加わり、人をよう殺せなんだ男が、それがいつのまにやら、このような薄気味悪い奴に……悪党め。北条一族の中でも最たる悪党よ。そなたはな」
劇中、北条時政公をしてこういわしめてしまった義時公。以後、陰湿狡猾の権謀家として、北条の天下を磐石のものにしていくのじゃ。とくに源実朝暗殺事件で、藤岡弘さん演じる三浦義村とのワル比べは、ほんとうに見応えがあって、これぞ大河ドラマと思わず膝を打ったぞ。
後世、源氏将軍家を三代にして滅ぼして将軍の実権を奪い、父親を追放し、ライバルとなる御家人を失脚させた北条義時公の評判はすこぶる悪い。じゃが、源頼朝公の偉業を継承し、武家政権を確立し、民生を安定させるためには、こうした冷酷さもまた必要であったのではなかろうか。じっさい、南朝の忠臣・北畠親房ですら「神皇正統記」の中で、承久の乱で三上皇を島流しにしたにもかかわらず、義時公には一定の評価を与えている。
「これからは京よりも鎌倉がうえに立つことになりましょう。朝廷はつねに幕府の力を抑えようとしてきましたが、ついに勝ったのです。われらの鎌倉幕府が朝廷よりも力を握るようになったのです」
「亡き殿も、あの世でさぞ、喜びに……しかも、義時執権の代にそれを成し遂げることができたのだ。もう、思い残すことはない」
承久の乱の後、北条義時公が大江広元とこう語り合う場面がある。まあ、頼朝公があの世で喜んでいるとはさすがにワシは思わんが、武家政権の基盤を固めたのは確かじゃ。
いっぽう尼御台さまは、妹の保子殿にしみじみとこう語るのじゃ。
「これで鎌倉は安泰だとしても、なんとたくさんの人が私のそばを通り過ぎ、死んでいっていったことか……保子、あなたには頼経がいるわ。でも、私にはだれもいない……
大姫が死に、夫の頼朝が死に、そして三幡が死に、頼家が死に、実朝が死に、公暁が死に、私が愛していた者は、みんな私を置いて先に逝ってしまった。鎌倉を、亡き殿がつくったこの武士の府を守るため、必死にやってきたけれど、気がつくともう、私にはだれもいないのね……」
うん……たしかに、こう並べていくと、やはり陰湿じゃ……酷すぎる……
物語の最後、北条義時公の若い頃からの友人で、かつて尼御台に惚れていた伊東十郎祐之が琵琶法師となって登場するのじゃが、まさに「諸行無常」じゃ。
義時公は3年後の元仁元年(1224年)6月13日、衝心脚気により62歳で急死している。近習に刺し殺されたとか、後妻の伊賀の方に毒殺されたとか、あまりうれしくない風聞も立てられてしまったのは、偉大な指導者のとつぜんの死であったがゆえ、ということで。