スマホをいじくっていたら、この夏、埼玉スタジアムに遠征する前に立ち寄った忍城趾関連の写真が出てきて、その中に「漆黒の魔人」こと正木丹波守が建立した高源寺の写真があった。そうそう、この男のことをブログにあげようと思っていたのじゃが、うっかり忘れておったよ。ということで、今日は正木丹波守についててじゃ。
石田三成の水攻めにも屈せず、落城しなかった忍城。城の南方の佐間口で槍の名手として長束正家、浅野長吉、大谷吉継らを相手に奮戦したのが、成田家の筆頭家老・正木丹波守利英じゃ。映画「のぼうの城」では、佐藤浩市さんが演じておったあの硬骨漢じゃな。
忍城開城後、城将の成田長親、主君の成田氏長は蒲生氏郷に身を寄せる。その際、武勇の人として名を挙げた正木丹波のもとには、他家からの仕官の話もあったはずじゃ。じゃが、正木丹波は二君に仕えず。武士をやめて、敵味方の兵を慰霊すべく高源寺を建立し、翌年の天正19年には、この地で没してしまうのじゃ。無常を知ったのもあろうが、燃え尽きてしまったんじゃろうよ。いすれにせよ猛将ながらワシと同じでもともと仏心に篤い男だったんじゃろう。坂東武者の鏡じゃ。
こちらが丹波のお墓らしい。ともかくも手を合わせてきたぞ。なお、毎年5月8日には正木丹波守利英公供養祭と、忍城水攻戦没者彼我供養祭がとりおこなわれるそうじゃ。