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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

そうだ 佐渡、行こう

北条義時公が順徳天皇を流した佐渡北条時宗公が日蓮を流した佐渡。そして、わしが日野資朝を流した佐渡。かつては流人の島、近世では黄金の島。特別天然記念物のトキが生息する佐渡。そうだ 佐渡、行こう……そんな感じでこの夏、佐渡に行ってきた。

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深夜に出発して圏央道から関越、上信越と高速を乗り継いで直江津へ。それにして便利になったもんじゃな。あっという間に越後国へ着いてしまったよ。

直江津から佐渡へは佐渡汽船のカーフェリーで2時間弱。とくに揺れることもなく、じつに快適な船旅だ。帯同したわが愛犬も、空調ばっちりの個室を用意してもらって、それはそれは満足そうじゃったぞ。

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佐渡はでかい!

ということで、佐渡汽船で島の南西部の小木港へ。前方に島影がみえてきたが、ぐぬぬ……佐渡は超でかい! 相当でかい!! 

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太宰治が『佐渡』という紀行文に、島影を目にした時のことを、こう書いておる。

「さあ、もう見えて来ました。」という言葉が、私の耳にはいった。  
私は、うんざりした。あの大陸が佐渡なのだ。大きすぎる。北海道とそんなに違わんじゃないかと思った。

うんざりwww 太宰は新潟から両津港へ入ったようじゃが、この感覚はわしも同じじゃったな。離島の旅好きには、このでかさはちょっと面喰らう。じっさい佐渡島北方領土を除けば沖縄本島につぐ2番目の面積の島。外周は上越新幹線の大宮-新潟間の営業距離にも匹敵するというから、これは侮れない。

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島の地形は北側に大佐渡山地、南側に小佐渡山地、中央には国仲平野の穀倉地帯がある。平野の西側は真野湾、東側は両津湾。「エ」の時を逆さまにしたような地形が高いところから見るとよくわかる。

これだけでかい島じゃが、島内の公共交通機関はもちろんバスのみ。効率的に島をめぐるには、やはりクルマがないときつい。まあ、せわしない日々を送るわしらには、のんびりバス旅のほうが、ほんとうはよいのかもしれんがな。

佐渡の歴史 

イザナギイザナミの国生み神話によれば、佐渡島は淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐対馬についで大八島の7番目に生まれた島(ちなみに8番目が本州)である。大化の改新後には佐渡島にも国府が置かれ、奈良時代には聖武天皇の命で国分寺が建てられている。

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やがて鎌倉時代になると、北条一族の大仏氏が佐渡国守護となり、守護代として本間氏が相模国から赴任している。本間氏は武蔵七党横山党の海老名氏流。「太平記」で鎌倉に殉じた本間山城左衛門も、ここ佐渡の出である(たぶん)。

以後、雑太、河原田、羽茂に分かれながら、戦国期に上杉景勝が侵攻してくるまで佐渡を支配している。なお、庄内の豪商酒田本間氏もこの流れをくむ家じゃよ。

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古来、佐渡は遠流の島。養老6年(722年)には元正天皇を非難して不敬罪を問われた穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が初めてこの地に流されてきた。以後、順徳上皇日蓮宗尊親王日野資朝世阿弥らがここに流されてくるが、これはまた、機会をあらためて書きたいので本日は割愛する。

世界遺産をめざす佐渡金銀山

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佐渡の歴史といえば、やはり金山じゃな。慶長年間に徳川家康佐渡を直轄地にするが、金山が発見されたのもその頃のこと。それ以前にも砂金がとれたとかの記録もあるようじゃが、本格的な採掘は江戸期に入ってから。相川地区には佐渡奉行がおかれ、当時としては世界最大級の産出量で江戸幕府の財政を支えた。

中に入ってみる。説明書によると、当時の鉱夫たちの給金はそこそこよかったらしい。じゃが、無宿人を無理やりつれてきて働かせるなど、徳川幕府はけっこう酷いこともしていたようじゃ。

ここの人形はなかなかよくできていて、「ああ、馴染みの女に会いてえよ〜」とか喋るのが、なかなかに面白い。

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明治になると、佐渡金山は三菱に払い下げられる。以後は近代的な採掘になっていくわけで、坑道の掘削技術とかもう、驚くほかはない。さかも平成元年まで採掘を続けていたというからびっくりじゃよ。

現在、佐渡市新潟県はここを含む島内4箇所の金銀山を世界遺産に登録しようと動いているらしい。石見銀山も登録されたし、佐渡もいけるはずだとわしは思うけどどうなんじゃろう。ちなみに「武家の古都 鎌倉」は登録不可の烙印を押されてからは、めだった活動はしていない。まあ、鎌倉は防災、津波対策が先じゃから、佐渡のみなさん、お気づかいは無用じゃよ(というより、鎌倉はもうあきらめてるみたいだし)。

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佐渡金山に行くと、江戸時代のコースと明治時代のコースのどちらにするかを尋ねられる。わしらは券売所のお姉さんに江戸時代コースを薦められたんで、あの喋る人形をみたが、山が割れている道遊の割戸をベストポジションでみたいなら、明治時代コースを選ばねばならんかったらしい。北沢地区の近代遺跡とあわせて、時間があれば両方みておくべきじゃな。

なお、佐渡奉行所は閉門5分前に着いたんじゃが、にっこり笑顔で「明日は8時からでーす」と門を閉じられてしまった。得宗家もなめられたもんじゃ…

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特別天然記念物のトキ

佐渡といえばトキの存在も忘れてはならんぞ。学名はニッポニアニッポン。なんとも堂々とした名前じゃが国鳥ではない(国鳥はキジじゃよ)。かつてトキは東アジアにはありふれた鳥じゃったが、乱獲や開発などで激減してしまい、2003年に日本生まれさいごのキンが死んだあと、いまは中国系の子孫が約200羽生息するのみらしい。繁殖と放鳥を繰り返す佐渡の人たちの努力には頭がさがるぞえ。

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いま、野生で生活するトキは島内に70羽ほどいるそうで、運がよければ遭遇できるらしい。もちろん、そんな幸運はありえないので、わしらはトキの森公園というところで観察してきた。保護センターで観察してきた。なお、犬は入れないのでねんのため。

元執権のわしに敬意を示してくれたのか、けっこう近くまできてくれたぞw 思ったよりでかくて迫力がある。黒い嘴と先端の赤、後頭部の冠羽が印象的じゃな。残念ながら拝めなかったが、翼の下側は朱色っぽいカラーで「朱鷺色」というのはここから来ているらしい。

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ちなみにこちらは佐渡ゆるキャラ「トッキー」。中の人などもちろんいないが野生のトキではないから、あまりありがたみはない。佐渡トキ保護環境大使は歌手の加藤登紀子さんで、もちろんこれはトキの音つながり、つまりダジャレじゃな。

とまあ、佐渡に行くならトキと金山ははずせないと思うが、ほかにも たらい舟とか、尖閣遊覧、千石船の里(宿根木)など見所は多い。西三川ゴールドパークの砂金採り体験は必死になりすぎると腰が痛くなるので注意が必要じゃよ。

アルコール共和国に入国

佐渡は海も鎌倉と違ってキレイで静かじゃし、海の幸はもちろん美味。とくに、いかそーめんは絶品で、冷酒もまた五臓六腑にしみわたる。せっかくなんで調達してきた金箔をふりかけて宿で一杯www じつにおつである。

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聞くところによると、佐渡の真野町は1983年にクーデターをおこして「アルコール共和国」としての独立宣言したらしい。ローカルな話ゆえ幕府は知らなかったが、県も政府もどうやら認めているらしい。

その黒幕となったのが尾畑酒造さん。日本酒好きならみんな知っている有名な蔵元で、ここの「真野鶴」はいま、わしがいちばんお気に入りの酒じゃ。通販でも入手できるが、やはり現地で買うことにこそ意義がある。鎌倉の御家人たちにも飲ませてやりたいので爆買してきたしw

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佐渡には何もない?

とまあ、ずらずらと書いてきたが、かつて佐渡を旅した太宰は、紀行文にこう書き記している。

佐渡には何も無い。あるべき筈はないという事は、なんぼ愚かな私にでも、わかっていた。けれども、来て見ないうちは、気がかりなのだ。見物の心理とは、そんなものではなかろうか。大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかも知れない。見てしまった空虚、見なかった焦躁不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。私は 、もうそろそろ佐渡をあきらめた。明朝、出帆の船で帰ろうと思った。

太宰は佐渡について一貫してこんなふうに書いておる。太宰はけっきょく、佐渡を諦めて島を後にしたように、この後、人生そのものを諦めてしまうわけじゃが、まあ、それはさておき。

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わしが佐渡を旅した理由も、じつは太宰のそれと大した差はない。日本海にあるあのユニークな形をした日本最大の離島がなんとなく気になった。わしら幕府が順徳天皇日蓮日野資朝を流した佐渡がどんなところなのか、一度は見ておきたかった。そんな程度の理由でふらりと出かけただけのことじゃ。

じゃが、わしの佐渡の印象はすこぶるよいものになったぞ。トキに金山、たらい舟、宿根木の集落、尖閣湾遊覧と見所は盛りだくさん。海あり山あり、飯もうまいし、酒もうまい。