大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」がはじまった。じつはわし、年始に井伊谷を訪れてしっかりと予習して初回放送に備えたんじゃが、おとわを演じる新井美羽ちゃんのかわいらしさもあり、大いに楽しませてもらったぞ。ドラマのキーパーソンとなる幼なじみの亀之丞役(井伊直親)と鶴丸役(小野政次)の2人の子役の演技も素晴らしく、やっぱり大河のスタートに子役は欠かせないなと、あらためておもった次第。
ただ、第1回だから仕方ないとはいえ、当時の井伊氏がおかれた立場や駿河遠江の状況とかを端折り過ぎというか、もうちょっと丁寧に説明してもらえると、より楽しめたかなと思ったので、今回はそのあたりを書きとめつつ、ドラマの感想なども書いておこうかと思う。
井伊直虎幼少期の井伊谷について
井伊直虎は、遠江井伊谷城主(国人)の井伊直盛と、今川一門衆の新野左馬助(親矩)の妹の間に生まれた。ドラマでは「おとわ」と呼ばれているが、名前はもちろん生年も定かではない。ただ、婚約者の亀之丞が天文5年(1536)の生まれなので、その前後に生まれたのではないかとの想像はつく。ちなみに天文3年は織田信長が、天文7年には豊臣秀吉が生まれている。直虎は戦国乱世が本格化する激動の時代のはじまりに生まれたわけじゃな。
井伊氏は藤原北家の後裔を称し、平安後期にはすでに井伊谷を治めていた。南北朝の騒乱では後醍醐天皇の皇子・宗良親王を奉じて足利軍と戦った南朝の臣じゃ。室町時代は所領に逼塞して生き延びてきた井伊氏じゃったが、応仁の乱の後、遠江守護職の座をめぐって駿河守護の今川氏と尾張守護の斯波氏が激しく争うようになると、井伊谷も否応なく巻き込まれていく。永正7年(1510)、今川氏親が遠江に侵攻すると、直虎の曽祖父・井伊直平(前田吟さん)は斯波氏に与して戦う。じゃが永正13年、詰めの城である三岳城は陥落、井伊谷は今川氏に占領され、直平ら井伊一族は臥薪嘗胆の日々を送る。
その間、今川の家督は氏輝、義元へと継承される。花倉の乱を制して家督を継いだ今川義元は、長年敵対関係にあった甲斐の武田信虎の娘を正室に迎え、甲駿同盟を結ぶ。北の脅威を取り除き、三河方面への進出を目論んだのじゃろうか。じゃがこの動きは旧来の盟友・相模の北条氏綱を怒らせることとなる。かくして駿相同盟は破綻、北条は駿河へと侵攻し、またたく間に富士川以東を制圧してしまう。これが天文5年(1536)の河東一乱じゃ。
このとき井伊直平は、同じ遠江国人衆の堀越氏とともに北条に呼応し、今川を東西から挟撃する構えをみせたらしい。ここに至り今川義元は井伊氏に和睦をもちかけ、国人領主としての立場を認めて三岳城を20年ぶりに返還、直平は娘を人質として差し出し、今川に従属することになる。
長年敵対してきた今川に従うのは苦渋の決断であったじゃろう。じゃが、小領主が戦国の世を生き延びていくには大勢力の傘下に入る以外、選択の余地はなかった。かくして井伊氏は今川の家臣となる。ちなみに、人質になった直平の娘(佐奈、花總まりさん)は今川義元の養女となり関口親永に嫁ぐのじゃが、その娘が徳川家康(阿部サダヲさん)に嫁いだ築山殿(菜々緒さん)。おそらく大河でも重要な役回りとなることじゃろう。
小野政直はなぜ井伊直満を讒訴したのか
とまあ、これが当時の井伊氏がおかれた状況で、「おんな城主 直虎」の物語もここから始まる。昨日の放送では、おとわと亀之丞、鶴丸の3人はともに勉学に励み、竜宮小僧の探索に出かけるなど、仲睦まじくしておった。じゃが、こうした穏やかな時期は長くは続かない。初回放送では、亀之丞の父・井伊直満(宇梶剛士さん)が鶴丸の父・小野政直(吹越満さん)に謀反を密告され、今川義元(春風亭昇太さん)に誅殺されるまでが描かれ、ドラマは一気に動き出した。
この事件が起きたのは天文13年(1545)年のこと。「寛政重修諸家譜」にはこう記されている。
姪直盛いまだ年若しといへど、すえずえ子なきにをいては、直満が男直親を嗣とせむことを契約せしところ、直盛が家臣小野和泉守某もとより直満と不和なりしかば、これをきらひて今川義元に讒し、直満直義兄弟を駿府に召して糾問す。直満申解くといへども、和泉さまざまに讒言をかまへ、二十三日ついに殺害せらる。
すでに井伊直平は隠居し、跡をついだ嫡男の井伊直宗(ドラマには登場せず)も今川義元に従って三河国田原城攻めに出陣した際に討死。井伊宗家は直盛(杉本哲太さん)が継いでいた。じゃが、直盛には男子がいなかったため、おとわの婿に亀之丞を迎え、将来の跡取りとすることが決まる。
これをおもしろく思わなかったのが鶴丸の父・小野政直。小野氏はあの小野篁の末裔を称す名家で、政直は井伊の家老をつとめていた。今川べったりだった政直は家中でも浮いていて、とくに井伊直満とは犬猿の仲。このとき政直は、あわよくば鶴丸をおとわに嫁がせ、井伊宗家をのっとろうと目論んでいたふしもある。もし亀之丞が家督を継げば、直満の発言力が大きくなり、自分の立場は脅かされる。そこで政直はこの結婚を破談にし、直満を排除する陰謀をめぐらせるのじゃ。
「井伊家伝記」によると、この時期、甲斐の武田信玄の兵が井伊の領地に侵入しては揉めごとをおこしていたので、直満は武備をととのえていた。これを政直が謀反の企てとしてでっちあげ、直満と直義は問答無用で殺害されたと記されている。じゃが、今川と同盟している武田がこの時期に井伊谷くんだりまでちょっかい出しにくるじゃろうか。これは疑問である。
ドラマでは、直満は北条への寝返りの密書が露見して誅殺される設定になっていた。もちろんこれは創作じゃろうが、さもありなんという感じもする。ともかくも、今川の支配に対する井伊直満と小野政直の路線の違いが鮮明になってよい演出じゃったと、わしは思う。宇梶剛士さん演じる眼帯を装着した井伊直満と、これを追い落としにかかる吹越満さん演じる小野政直もいい味出していたしな。
いい味出していたといえばMVPは春風亭昇太さんによる今川義元! セリフをひとことも発することなく宇梶直満を抹殺してしまった怪演ぶりは、北条高時演じた片岡鶴太郎さんを彷彿とさせたぞ。注目の太守キャラに来週以降も目が離せんぞ。
次郎法師は女こそあれ井伊家惣領に生候間
ということで上々のスタートをきった「おんな城主 井伊直虎」じゃが、若干のネタバレとこの後の展開を少々。
父の謀反により命を狙われた亀之丞は信濃に亡命。おとわは婚約が破談となり、仏門に入り、次郎法師を名乗る。その後、成人した亀之丞は井伊直親(三浦春馬さん)として井伊谷に戻ると、分家の実力者・奥山朝利(でんでんさん)の娘と結婚し、虎松をもうける。後の彦根藩主・井伊直政(菅田将暉さん)じゃ。
そして井伊氏には不運が続く。まず永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで直盛が討死。跡を継いだ直親も父親と同様、讒言にあって今川氏真(尾上松也さん)に誅殺されてしまう。讒言したのはなんと幼なじみの小野政次(高橋一生さん)。このあたりが、ドラマ展開の大きな山のひとつとなるのじゃろう。
さらに長命だった曽祖父の井伊直平が戦の最中に急死してしまう。「井伊家伝記」では一服盛られたと記録されているが、真偽のほどはよくわからない。ただ、これにより井伊の血を引く男子は幼少の虎松だけとなってしまう。そのうえ、新野親矩(苅谷俊介さん)や中野直由(筧利夫さん)らが相次いで討死にしてしまい、ここに井伊氏は危急存亡の時を迎えるの。
そこで龍潭寺の住職の南渓瑞聞(小林薫さん)と直盛の未亡人(千賀、財前直見さん)は一計を案じ、永禄8年(1565)、次郎法師を還俗させる。「次郎法師は女こそあれ井伊家惣領に生候間」(『井伊家伝記』)ここに、柴咲コウさん演じるおんな城主・井伊直虎の誕生するというわけじゃな。
とはいえ……昨年末、京都にある井伊美術館の館長・井伊達夫氏が「直虎は男だった!」という、ドラマのコンセプトをちゃぶ台返しするような新資料の存在を発表し、物議をかもした。これについてはいろいろ議論がなされているが、わしとして決定的な資料のような気がしておる。NHKさんの「いや、これはドラマですから……」というのは、やはり苦しい弁明で、もしこの資料がもっと早く世に出てたら、大河ドラマにはしなかったんじゃないかなと。へたすると沖田総司はBカップの「幕末純情伝」と同レベルになってしまうではないか。
まあ、「真田丸」の高梨内記が「一度物語を聞いてみてみたい」と語っていた井伊の赤備えの物語じゃから、ともかくも1年間、生温かく見守っていこうとは思ってはいるんじゃが……
追記:後日、こんなのも書いたのでよければご一読くだされ。