今年もあとわずか。来たる平成30年(2018)は戌年じゃ。戌年生まれといえば真面目で誠実な人が多いという。頑固で用心深い面があるものの、心を開くと律儀に献身的につくすというのは、まさにこれ、「犬」そのものじゃな。ということで戌年生まれの歴史人物を調べてみたぞ。
戌年生まれの歴史人物といえばこの人!
まずはこの人、犬公方こと江戸幕府5代将軍の徳川綱吉をあげねばなるまい。
徳川家光の四男として正保3年(1646年)、江戸城に生まれた。幼名は徳松。わが国の歴史上、もっとも有名な愛犬家で、「生類憐みの令」は、まさに動物愛護の嚆矢といえるじゃろう。世間では綱吉の将軍としての評価はボロクソじゃが、彼の治世下は元禄文化の勃興期で、景気もよかったことから、近年ではその評価も見直され始めているんじゃよ。
武士として初めて太政大臣までのぼりつめ、「平家にあらずんば人にあらず」というほどに栄華を極めた平清盛。この人も永久6年(1118)の戌年の生まれじゃよ。
大河ドラマでは松山ケンイチさんが好演しておったな。白河天皇の落胤という噂もあるが、「王家の犬」にすぎなかった武士の地位を飛躍的に高めた戌年生まれの武士。なかなかにおもしろきことじゃな。
もう一人、木曽義仲をあげておこう。この男は「木曽の山猿」とよばれたが申年ではなく戌年生まれじゃ。
義仲は久寿元年(1154)、河内源氏一門・源義賢の次男に生まれた。都から平氏を追い落としたものの、「眉目形はきよげにて美男なりけれども、堅固の田舎人にて、あさましく頑なにおかしかりけり」という男じゃったので、後白河上皇に弄ばれ、さいごは源頼朝公に討たれてしまう。悪い男ではなかったと思うが、ちょっと気の毒な人生ともいえる。まあ、飼い主に恵まれなかったということで。
戌年生まれの戦国武将たち
戌年生まれの戦国武将としては、はじめに前田利家をあげておこう。
利家は(諸説あるが)天文7年(1538)の戌年生まれ。そのため幼名は「犬千代」。じつに単純な命名理由じゃな。「槍の又左」の異名を取り、織田信長の馬廻り、赤母衣衆として各地を転戦。無骨な印象もあるが、衆道のお相手をつとめるほどの美男子だったらしい。利家も頑固で律儀という点では、いかにも犬っぽい人物といえるかもしれんな。
ちなみに、利家の娘で秀吉の養女となった豪姫も天正2年(1574)の戌年生まれじゃよ。「男にて候はゞ、関白を持たせ申すべきに」と秀吉にいわしめたほど寵愛を受けた天下人の姫じゃが、夫の宇喜多秀家は関ヶ原で西軍に与して改易。豪姫は前田家に戻り、八丈島に流された秀家に仕送りを続けて、再婚することはなかったそうじゃよ。
小田原北条氏4代目・北条氏政も天文7年の戌年生まれじゃ(諸説あり)。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。
ご飯を食べるときに汁を何杯もかけて氏康に叱られたとか、農民が麦刈りをするのをみて「あのとれたての麦ですぐに朝飯にしよう」と言ったとか、秀吉に城を囲まれても延々会議を続けていたとか、氏政の評判はすこぶる悪い。じゃが、北条氏は氏政の時代に関東で最大版図を築いたわけじゃし、侮ってよい人物ではない。大河ドラマ「真田丸」をみていた者なら、みな納得するじゃろう?
そうそう、太守さまこと今川氏真も忘れてはいかん。氏真も利家や氏政と同じ天文7年生まれの同級生じゃよ。
父は今川義元、母は武田信虎の娘・定恵院。氏真も今川をつぶした暗君として巷間評判はよろしくない。たしかに戦国武将としては失格かもしれんが、人には持ち味があるからな。文化人として教養もあったし、世が世なれば、これほどボロクソにいわれんでもすんだじゃろう。今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」で、尾上松也さん演じる氏真が「戦ではなく蹴鞠で勝負をつければよいのじゃ」という卓見には、わしも思わず膝を打ったぞ。平和な時代の太守として生きて欲しかったよ。
佐賀の鍋島直茂も天文7年生まれなのの戌年生まれじゃ。
はじめ龍造寺隆信の右腕として仕えたが、隆信亡き後は実力で家中の権力を掌握。秀吉に気に入られて独立大名扱いとなり、さいごは龍造寺家を吸収してしまう。軍事にも政治にも長けた男じゃったが、その野心としたたかさは、好き嫌いが分かれるかもしれんな。
ヒゲがトレードマークの加藤清正も永禄5年(1562)の戌年生まれじゃよ。刀鍛冶の子として生まれ、秀吉に仕えて福島正則らとともに賤ヶ岳の七本槍のひとりとして大活躍。朝鮮半島での虎退治も有名じゃな。
関ヶ原合戦後は肥後国熊本城主となるが、大坂の陣の前に死亡したのは残念じゃ。やはり徳川に毒を盛られたのじゃろうか。清正もまた律儀で真面目、いかにも犬っぽい男じゃな。
秀吉の養子・結城秀康も戌年生まれじゃ。天正2年(1574)に徳川家康の次男として側室の於万の方を母に生まれた。幼名は於義丸。
於義丸は双子で生まれたが、当時、双子は不吉と忌み嫌われたので、先に生まれた子は処分。生き残ったのが於義丸というわけじゃ。嫡男の信康亡き後、本来ならば徳川の家督を継ぐべき立場にあったが、秀吉の人質になったり、結城家へ養子に出されたりして、さいごは越前藩主。とはいえ子孫は繁栄しているから、悪くない人生といえるじゃろう。
幕末・明治をかけぬけた戌年生まれの英傑たち
戌年生まれの幕末の志士には土佐の陸援隊長・中岡慎太郎がおる。天保9年(1838)の生まれじゃ。
「我中岡と事を謀る往々論旨相協はざるを憂う。然れども之と謀らざれば、また他に謀るべきものなし」(坂本龍馬)、「倶に語るべき一種の人物なり」「節義の士なり」(西郷隆盛)と、仲間に信頼された人物だったようじゃ。笑うと顔つきがいかにも犬っぽく愛嬌があるではないか。
同じく土佐の後藤象二郎も天保9年の戌年生まれじゃ。
龍馬の意見を容れて徳川慶喜に大政奉還論を提議。明治政府でも要職につくが、やがて板垣退助らと自由民権運動に身を投じる。福沢諭吉は「非常大胆の豪傑・満天下唯一の人物」と賞賛しているが、じつは龍馬暗殺の黒幕ではないかという噂も。ちなみにルイ・ヴィトンのカバンをはじめて買った日本人ともいわれておる。
土佐の人斬り・岡田以蔵も中岡、後藤と同級生の戌年生まれじゃ。
土佐勤王党に参画するも、つむりや弁舌はイマイチだったらしい。幸い剣は使えたので、首領の武市半平太に命ずるまま、狂犬のごとくテロリズムに走って、仲間から「天誅の名人」とほめられていたが、吉田東洋暗殺の取り調べで拷問を受けるとすべてを自白。そのとき武市に、「以蔵は誠に日本一の泣きみそである」と酷評されたとか。犬は犬でも狂犬、噛み犬の類といえるかのう。
早稲田大学創設者、佐賀藩の大隈重信も天保9年生まれじゃ。
大隈は立憲改進党を創立、首相となり自由民権運動の一翼を担った。伊藤内閣・松方内閣の外相もつとめ、板垣退助と共に憲政党を結成して隈板内閣を組織した。外務大臣のときに青年が放った爆弾によって右足切断の重傷を負い、右足はホルマリン漬けで保存されたらしい。自邸にたくさんの居候を住まわせており、そうした人好きな性格が国民大衆に支持され、葬儀には30万人が集まったという人気者じゃった。
長州からは山県有朋。やはり天保9年生まれじゃ。
高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、四境戦争や北越戦争で活躍。 明治政府では長州閥のドンとして手腕をふるい、「国軍の父」と称された。じゃが、国民からは人気がなく、1カ月前に没した大隈重信の葬儀に多数の民衆が集まったのに比べ、山県の葬儀は国葬にもかかわらず閑散としていたとか。まあ、山県は大隈に比べると陰気な感じがするわな。
近現代に活躍した戌年の大物たち
政財界のリーダーの指南役・昭和の碩学・安岡正篤は、明治31年(1898)の戌年生まれじゃ。あの「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」という終戦の詔書(玉音放送)の草案を刪修(要するにチェック、加筆ね)した人物じゃ。
吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など歴代総理は安岡を師事していたが、本人は「黒幕」と言われるのを嫌がったといういまの国会の先生方や財界トップをみて、安岡先生はさぞかし嘆いておられることじゃろう。
中国の周恩来も1898年、戌年生まれじゃ。中華人民共和国建国から死去まで、政務院総理・国務院総理(首相)を務めた大物じゃ。
毛沢東の信任もあり、文化大革命中も失脚しなかった人物で、日中共同声明に調印したことでも知られている。戌年生まれだからかは知らぬが、周恩来は犬肉が好きで、北朝鮮を訪問では、犬料理の古コース(全狗席)を楽しみにしていたという。犬を食べるなんてどうよ、といってはいけない。それぞれの国にはそれぞれの食文化があるんじゃからな。
元内閣総理大臣の菅直人も昭和21年(1946)年生まれの戌年じゃ。
薬害エイズ事件やカイワレ事件当時の厚生大臣で、いまは亡き民主党の初代代表もつとめている。小泉内閣の閣僚3人に国民年金未納が発覚したときには、「団子三兄弟」ならぬ「未納三兄弟」と舌鋒鋭く攻撃したが、自らの年金未払い記録が発覚するブーメランぶり。お遍路さんとして禊をしたが、評判はあまりよろしくなかったな。民主党が政権をとると内閣総理大臣に就任するが、東日本大震災が発生。地震そのものは菅さんのせいではないんじゃが……。菅さんが大物かどうか、その判断は任せるが、ともかくも戌年生まれの宰相ということで。
文化・芸能・スポーツ分野で活躍した戌年生まれ
文化人として、『舞姫』『阿部一族』などの代表作で知られる日本文学界の重鎮・森鴎外をあげておこう。
鴎外は文久2年(1862)生まれの戌年で、本名は林太郎。森家は代々津和野藩の典医をつとめる家なので、森鴎外はお医者さんとしても活躍した。じゃが、陸軍の脚気惨害をめぐっては予防をミスリードしてミソをつけている。どんな偉人も完璧な人はいない。「わたし失敗しないので」はドラマの主人公だけのことのようじゃ。
あの石原裕次郎も昭和9年(1934)生まれの戌年じゃ。
兄・石原慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化でデビュー。『狂った果実』で主演すると数々の映画を大ヒットさせる。わしにとっては『太陽にほえろ』『西部警察』の印象が強いけどな。日本で初めて記者会見をした芸能人は裕次郎、「正月をハワイで過ごす芸能人」の先駆けとなったのも裕次郎というから、やはり大スターである。
作詞家でAKB48グループや乃木坂46・欅坂46のプロデューサーの秋元康も昭和33年(1958)の戌年生まれじゃ。
奥方は元おニャン子クラブの高井麻巳子。秋P、やすす。わしもおニャン子クラブからAKB、乃木坂まで、この人がプロデュースした企画にけっこう貢いできた気もw 推定年収50億以上という噂じゃが、才能と運に恵まれた戌年を代表する成功者といってよいじゃろう。
元読売ジャイアンツで、サムライジャパン日本代表監督をつとめた原辰徳も、やすすと同じ昭和33年生まれじゃ。
現役15年巨人一筋で打率279、1675安打、本塁打382本という数字は長島、王、イチローらに比べるとそれほどでもないが、いやいや立派な数字である。監督としても優勝7回、日本一3回、WBCでも日本を世界一に導くなど、堂々たるもの。現在の巨人は高橋由伸監督が低迷しているし、3度目の監督就任、さらなる「夢の続き」はあるのかもしれんぞ。
平成の戌年生まれも綺羅星の如き顔ぶれじゃよ
平成生まれの戌年もなかなかじゃ。まずは二刀流の大谷翔平。
平成6年(1994)7月5日、岩手県奥州市生まれの戌年じゃ。先日、ロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったことが発表された。メジャーでも二刀流でいくらしく、アメリカでは「日本のベーブ・ルース」と呼ばれているそうじゃ。「あっぱれ日本のもののふ」と呼ばれるよう、これからの活躍に期待しておるぞ。
フィギュアスケートの羽生結弦も平成6年12月7日、仙台市生まれの戌年じゃ。
じつはわしの職場に強烈なゆづ推しがおって、いろいろと教えてくれるんじゃが、あいにくわしはフィギュアはとんとわからなくてな。とはいえ、彼が日本フィギュア界のエースであることは知っておる。現在は右足首の故障で平昌オリンピックでの復帰に向けてリハビリ中と聞くが、復活に向けて、ぜひともがんばってほしいものじゃ。
そしてそして、アイドルサイボーグ、まゆゆこと渡辺麻友。平成6年3月26日生まれの戌年じゃ。
12歳でデビューしてからせ11年間、青春のすべてをAKBに捧げ、王道アイドルとして歩んできたまゆゆ。ざんねんながら本年でAKBは卒業となるが、今後は女優としての道を歩むとのこと。歌番組とかの露出は減るじゃろうが、わしはいつでも応援しとるからな。ちなみに、まゆゆは戌年なのに犬はどうも苦手らしいぞ。
なお、他にAKB48グループでは、武藤十夢、岩立沙穂、入山杏奈、太田奈緒、坂口理子(HKT48)らが、乃木坂46では桜井玲香、若月佑美、西野七瀬、高山一実らが同級生となる。元AKB48の島崎遥香 、ももクロの百田夏菜子も戌年生まれじゃよ。ジャニーズとかはすまん、知らない。
そしてラストは、秋篠宮佳子内親王。平成6年12月29日の戌年生まれじゃ。
「佳子さま」はまさに日本のプリンセス。そんじょそこらのアイドルでは太刀打ちできん抜群のルックスで、熱狂的なファンができるほど多くの国民に愛されている。
ご皇族では悠仁親王も平成18年(2006)生まれの戌年生まれ。悠仁さまが好意を継承される時代、わしは生きているかどうか分からんけれど、日本が平和で繁栄した国家であることを信じたいものじゃ。
ということで、わしの独断と偏見で戌年生まれの人物をとりあげてみたが、2018年もよき一年になることを願っておるぞ。
なお、愛犬家・ワンワン党の歴史人物はこちらにまとめておいたのでよろしければお立ち寄りを。