(遅ればせながら)新年、あけましておめでとうございます。本年も当ブログへのご愛顧を、よろしくお願い申し上げます。さて、今年の年末年始は関西におり、初詣は北野天満宮へ行ってきたので、今日はそのお話じゃよ。
北野天満宮は、菅原道真を祭神としてまつりる全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。菅原道真は学問の神様ということで、たくさんの受験生と思しき若者が参拝しておったぞ。
- 道真を讒言して失脚させた藤原時平が病死
- 道真失脚の首謀者の一人・源光が狩りの最中に溺死
- 醍醐天皇の皇子で時平の甥・保明親王
- その息子の皇太孫・慶頼王が病死
- 御所の清涼殿に落雷。朝議中の宮中の要人に多くの死傷者が出る
- 醍醐天皇が崩御
都の人々はこれらを道真の祟りと恐怖した。そこで朝廷は、道真の罪を赦して贈位。道真の子どもたちを京に呼び返す。すると多治比文子という少女に託宣があり、さらには近江国の神官の幼児にも託宣があったことから、北野の地に道真を祀る社殿を造営することになった。
これが北野天満宮の始まりで、道真が優れた学者であったことから、やがて天神は学問の神として全国で信仰されるようになったというわけじゃ。
わしもさっそくおみくじをひいてみたところ……なんと第一番大吉!
「月輝いて清雪のごとし」
じつに幸先のよいスタートじゃないか。今年はよき1年になりそうじゃよ。
お参りを済ませたあとは、境内にあったお茶屋で名物・長五郎餅とおうすで一服。長五郎餅は天正15(1587)年、太閤秀吉が開いた北野大茶会でふるまわれたという銘菓らしい。
北野大茶会は、お茶に興味があれば百姓町人など身分を問わず、太閤殿下や千利休らとお茶できるという無礼講の画期的イベント。ただ、当初は10日間の開催予定じゃったが、なぜか1日で終了している。その理由は、肥後で一揆がおきたとか、秀吉が飽きて面倒になったとかいわれておるが、じつは、期待していたほど人が集まらず、秀吉がへそを曲げたという説もあるらしい。
京都人には秀吉の上から目線の乱痴気茶会など、野暮にしか思えなかったのかもしれんな。まあ、真偽のほどはわからぬが、ともかく長五郎餅は美味じゃったよ。
ところで、豊臣秀吉は京都の街の大改造を断行している。それを象徴するものが北野天満宮近くにある御土居じゃ。
御土居は、東は鴨川、北は鷹峰、西は紙屋川、南は九条に至る延長22.5キロを取り囲む土塁で、高さは約5メートル、外側には堀が儲けられていた。この大改造により京都は洛中洛外の区分けが明確になり、御所と聚楽第を中心とする城塞都市に生まれ変わる。
いまでは都市開発も進み、御土居が残っているところは限られているが、太閤秀吉の権力・財力はものすごかったんじゃなと、あらためて思った次第。
ということで京都ではじまったわしの2018年。こんな調子で気まぐれに書いていこうと思うので、ひまなときに読んでいただければ幸い。よろしくお願いいたします。