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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

関ケ原で小早川秀秋が陣取った松尾山に行って難儀した件

年末、関西に行く途中で愛犬といっしょに関ケ原に立ち寄り、松尾山へ行ってきた。そう、あの松尾山じゃ。東か、西か……天下分け目の決戦で小早川秀秋さんが眺めた景色をいちどはみておきたいと前々から思っていたんじゃよ、わし。

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なお、小早川秀秋さんについてはこちらにも書いたのであわせて読んで欲しいぞ。

では、本題じゃ。関ケ原ICをおりて、松尾山交差点のあたりから道に迷い、気づいたら大谷吉継の陣だったあたりで迷子。幸い、通りかかった地元のおじさんが親切に教えてくれたんじゃが、ひとしきり道順を聞いたたあと……

「その靴で登るの?」「犬もいくの?」

どうやらふだんなら問題ないが、関ケ原は数日前に雪が降ったため、ちょっと厳しいのではないかとのこと。

うすうす「まずいかな」とは思っていただけに逡巡していたところ……

「でも、まあ、遠くから来たんだし、行ってみたら?」

と、おじさんは半信半疑ながらも背中を押してくれた。ということで、意を決して行ってみることに。

小早川の紋が入った黄色い旗が立っているところから、かなり細い道をはいっていくと、4-5台分の駐車場を発見。もちろんわしら以外に訪れる人はいないようじゃ。

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杖のレンタルサービスがあるではないかw なんとも細やかな気配りである。ここから秀秋さんの陣までは40分ということで、とりあえず出発。

松尾山の標高は293m。道はぬかるんでいて、若干の雪はあるが、これなら大丈夫かな?という感じ。

凛とした冬の空気と朝日の光がじつに心地よい。

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松尾山はたんなる山ではなく、松尾山城という山城があったところ。美濃と近江の国境の城で、東山道、北陸道、伊勢街道が眼下に見通せる要衝じゃ。

浅井長政が織田信長と手切れになったとき、樋口直房という武将をここに入れ、守備につかせた。じゃが、樋口直房は竹中半兵衛の調略により織田に寝返り、長政は切歯扼腕したという記録がある。

松尾山城というのは、裏切りの山なのかもしれぬ…などと思いつつ先を急ぐ。

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ここから秀秋さんの陣地跡までは900mほど。どうにかこうにか辿り着けそうじゃ……と思って歩いているうちに、だんだん残雪が増えきた。

我が愛犬は短足ゆえ、登って行くのもひと苦労。犬だけでも車に残しておけばよかったと後悔したが、今更引き返すのも面倒なので、先へ進んでいく。

登ったと思ったら降ったり、そこからまた登ってまた降って……なんだか非効率というか、けっこう面倒臭い山道じゃ。

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雪も少しずつ深くなってきた。犬は……楽しくなさそう。

すまん、もう少し付き合えよ、となだめすかして歩いて行ったら、なんと鹿と遭遇! おいおい、この先、大丈夫じゃろうか。クマとか出てきたらどうしよう。

戻るか? いや、もう少し、行ってみよう。

ところどころ、急勾配がある。もちろん雪がなければどうということもないんじゃろうが、けっこう体力を消耗する。

足を滑らしながら、なんだかんだ40分近く歩くと、ようやく小早川の幟がみえてきた!

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じゃが……山頂まではバージンスノー状態で、遊歩道はかろうじて見える程度。短足犬を連れてこの先をすすむのはしんどい。やむなく同行者に愛犬を預け、交代で先を見に行くことにする。

ズボズボと雪をかきわけ前に進む。ゆっくりゆっくり。 関ケ原の史跡めぐりというよりは、八甲田山雪中行軍になってしまった。

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ついた! でも、想像していたものとぜんぜんちがうwww

一面の雪景色に、小早川秀秋さんの陣があったというのじゃが想像できません。

ここは山城なので土塁の跡もあると聞いていたが、まったく見えません。

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それでも眼下に広がる景色をみていたら、関ケ原気分が高まってきた。

秀秋さん、ここベストポジションじゃないか! これなら戦の様子がばっちり見えたことじゃろう。 

  • 石田三成や島左近が陣取った笹尾山までばっちり
  • 大谷吉継隊や平塚為広の陣はこの真下か
  • あのあたりで宇喜多秀家隊と福島正則隊が死闘を繰り広げたようじゃ
  • 徳川の本陣、桃配山はどのあたりじゃ?
  • みんなで弁当食べて日和っていた吉川・毛利らの南宮山はあっちの方角か?
  • 敵陣を中央突破したという島津の退き口はどこだ?
  • 京極高次の大津城があと少し早く陥落して立花宗茂隊が駆けつけていたら、どうなったじゃろうか
  • いや、それをいうなら徳川秀忠が遅刻していなかったら……

いろいろと夢想してみる。

笹尾山から上がる小早川の参戦を促す狼煙を、ここから秀秋さんは、どんな思いで見ていたんじゃろうか。

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こちらはWikipediaより。

当初、松尾山には西軍の伊藤盛正が陣取っていた。じゃが、とつぜん小早川の軍勢がやってきて問答無用で陣取ってしまう。

これが秀秋さんの意思なのか、徳川の働きかけによるものなのか。それはわからないが、眼下の景色を見る限り、戦のキャスティングボードを秀秋さんが握ったことはまちがいない。

当初から、石田三成の頭には「小早川は裏切るかもしれない」という疑念があった。じっさいに大谷吉継はそれを見越して松尾山の麓に布陣しているし、三成は「戦に勝ったら秀秋さんを関白に」と申し出て、引き止め工作をしている。

じゃが、秀秋さんは東軍についた。寝返った小早川軍は、松尾山を一気に駆け下りて、大谷吉継の陣へと雪崩れ込んだ。大谷吉継は寡兵を持って小早川勢を押し戻したが、脇坂安治らも寝返るとこれを支えきれず、かくして決戦の帰趨は決する。

なお、小早川勢の中で、裏切りをよしとしなかった松野主馬についてはこちらに書いたので、よろしければ読んでくだされ。

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お家の生き残りをかけて東西20万の軍勢が集結したと言われる関ケ原。徳川につくか、石田三成に合力するか。思惑はさまざまじゃが、ここでもし徳川が敗れていたら、世は戦国乱世に逆戻りしていたことじゃろう。

そういう意味では、西軍推しのみなさまには申し訳ないが、秀秋さんの決断が太平への道をひらいたともいえなくもない。もちろん、ご本人がどういうつもりだったかはわからん。

とまあ、あれこれ考えながら史跡を回るのは面白い。今年もできるだけ、いろいろなところに出かけていこうと思う。