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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

「関ヶ原の合戦」は天下分け目の大決戦ではなかった!?

9月15日は旧暦で関ヶ原の合戦が行われた日。ということで、Twitter界隈では、#関ヶ原2018 が盛り上がっていたようじゃ。今年こそ、石田三成の悲願がかない、西軍の初勝利なるかが注目されたが、残念ながら例年通り敗走したけどな。ただ、この関ヶ原の合戦、近年の歴史研究の進歩は凄まじく、従来の通説がどんどん覆ってきているというから驚きじゃ。

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わしの関ヶ原の合戦のイメージは、司馬遼太郎さんの名著『関ヶ原』で基本型ができあがっておる。もちろん司馬さんの作品は小説だということはわかっておるし、「小早川秀秋の問鉄砲はなかった」など、知識のアップデートはそれなりに重ねてきた。

じゃが、 乃至政彦・ 高橋陽介著『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)を読むと、目から鱗というか、なんかもう、今までのわしの「関ヶ原」像は何だったんじゃろうかと思ってしまうわけで。

本書は、これまでの関ヶ原に関する先行研究を踏まえつつ、いわゆる「一次史料」の観点から新しい「関ヶ原」像を提示している。ネタバレになると申し訳ないので、詳しくは書かないが、その内容は従来説を覆す驚愕の内容が満載じゃ。

もう、びっくりじゃわ。東西20万の軍勢が大決戦をしたんだとばかり思っていたが、じっさいには前日には南宮山あたりで和談が成っていたという。それを知らない三成らは、旗幟鮮明にした松尾山の小早川秀秋を攻めるため、大垣城を出て南宮山を迂回し、笹尾山ではなく山中村に布陣したが、福島正則黒田長政らが西から到着して散々にやられたということらしい。もちろん家康はその場にいないので野戦の指揮はとっていない。もちろん井伊直政松平忠吉の抜け駆けとか宰相殿の空弁当も創作ということになる。

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それに石田三成じゃ。わしの中の三成像は、豊家のために徳川家康の天下取りを阻止せんがため、関ヶ原の戦いをオーガナイズした人物。じゃが、本書によれば、首謀者は毛利輝元であり、三成はいわば巻き込まれただけ。家康はいざこざはあったものの秀吉の遺言を履行しており、三成との関係は必ずしも悪くはなかった。しかも三成を西軍に引き込んだのは大谷吉継だという。

まあ、すべてをにわかに納得するわけではないが、加藤剛さん、岡田准一さん、山本耕史さんが演じた石田三成は、いったいなんだったんじゃ。毛利輝元は単なるお飾りじゃなかったのか。

関ヶ原の通説は、江戸時代に作られた軍記や家譜といった二次史料をもとに形成されたもの。もちろん全ての二次史料がデタラメというわけではないが、そこにはさまざまなバイアスがかかる。その結果、大谷吉継の「おのれ金吾(小早川秀秋)め、人面獣心なり」といった臨場感溢れる名セリフが生まれたりして、われわれを魅了する。そして、それらはいつしか「史実」として人々に定着していくというわけ。じっさい、石田三成が七将に襲われたとき、家康にかくまってもらったとか、真田父子の犬伏の分かれとか、清州会議での山内一豊パクリ事件などは後世の創作であるという。現代人の多くの関ヶ原像は、おそらく司馬遼太郎さん由来ということのようじゃ。

これまで出された再検証説の多くは、関ヶ原研究の専門家たちが「本当に関ヶ原で合戦があったのか」というレベルから疑って、現地踏査と資料の再読を進め、そこで得られた結論を、学会の調査報告や学術論文で発表したものである。まだ新しい説ばかりのため、一般の読者には あまり知られていないが、従来説が遠からず通用しなくなるのは間違いない。関ヶ原論は。いままさに大きなパラダイム・シフトと向き合っている最中なのだ(乃至政彦)

うーん、来年のTwitter #関ヶ原2019 は様相が変わってくるかもしれんな。

もちろん全てが全て首肯できるわけではない。本書で提示される事実関係は、その脈絡がよくわからんというか、やや強引に感じる部分があるのも確か。とはいえ、一次史料を繋ぎ合わせるという趣旨からして、どうしてもそうなる。というか、そうした一次史料の記載の間の謎を埋めていくのが、今後の歴史研究の成果であり、もっといえば作家の出番ということなんじゃろう。

まあ、本書をどう読むかは人それぞれじゃが、わしは素直に面白かかったぞ。少なくとも、けちょんけちょんに言われてきた小早川秀秋さんの雪冤だけは間違いなく成った、ということで。