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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

伊豆山神社…源頼朝公推奨・二所詣に行ってきたぞ

源頼朝公が推奨した二所詣。先日、わしもいってきたぞ。 

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二所詣は、伊豆山権現伊豆山神社) と箱根権現((箱根神社)に参詣する鎌倉幕府の正月恒例行事。頼朝公は、源家を再興し、幕府を開くにあたり、とくにご加護をいただいたこの二社を篤く尊崇していた。そのため、頼朝公をはじめ、頼家公、実朝公、九条頼経公、宗尊親王ら歴代の鎌倉将軍はこの二所詣をたびたび行い、神のご加護に感謝の意を捧げたんじゃ。もちろん、伊豆から世に出たわが北条家にとっても、この二社は特別な存在であることはいうまでもない。

北条泰時公がつくった武家憲法御成敗式目」にも、「別而伊豆箱根両所権現・三島大明神八幡大菩薩・ 天満大自在大神・部類眷属・神罰冥罰各可罷也、仍起請文如件」という起請文があり、「伊豆箱根両所権現」は筆頭の特別な存在とされているんじゃよ。

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駐車場にクルマを止めて、長〜い石段を上っていく。熱海の街が一望でき、なかなかよい眺めじゃ。

関八州総鎮護の伊豆山神社走湯神社とも呼ばれる。伊豆蛭ケ小島に流されていた頼朝公はここに源家再興を祈願した。ちなみに、鎌倉が新田義貞に攻められたときに、わが息子・万寿丸(北条邦時)を逃そうとしたのも、この伊豆山神社じゃった。もっとも五大院宗繁の裏切りで万寿は殺されてしまったがな。

伊豆山神社の創建年代の確かな記録は残されておらぬが、紀元前5〜4世紀、孝昭天皇の御代と伝えられておるそうじゃ。御祭神は……「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊拷幡千千姫尊瓊瓊杵尊」……すまぬ、わしには読めんわw

走湯山縁起』には「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」 とある。 赤龍は火、白龍は水の力を司り、この二龍の力を合わせて熱海、伊豆山の温泉ができたというわけじゃな。なんとも壮大な話にはびっくりぽんじゃわ。

ちなみに、ここには役小角弘法大師も訪れたという伝承もあるし、後白河法皇の勅撰『梁塵秘抄』には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」とあるなど、頼朝公の時代以前から霊験あらたかな神社としてメジャーな存在だったんじゃな。

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曽我物語』によると、山木判官兼隆に輿入れさせられそうになった政子さんは、身一つで屋敷を抜け出し、山を越えてこの伊豆山神社に逃げ込み、頼朝公と電撃的に結ばれたとある。いまでいう「駆け落ち」じゃな。当時の伊豆山神社は多くの僧兵を擁し、かなりの武力があったから、北条時政公も山木判官も迂闊に手が出せなかったんじゃろう。もっとも、この時点ではふたりの間に長女・大姫が誕生していたらしく、この逸話そのものは創作ともいわれておる。でもまあ、今日のところはそういう野暮な話はやめておこう。

さて、頼朝公が挙兵し、石橋山の合戦に赴いたとき、政子さんはここに身を潜め、夫の戦勝をひたすら祈願していたという。『吾妻鏡』には、九郎義経殿と生き別れとなり鎌倉に連れてこられた静御前が、鶴岡八幡宮義経殿を慕う舞を踊り、頼朝公の逆鱗に触れたが話があるが、このとき政子さんは、自分が伊豆山に身を寄せていたときの思いを語り、頼朝公をなだめたという。

君流人として豆州に坐し給うの比、吾に於いて芳契有りと雖も、北条殿時宣を怖れ、潜かにこれを引き籠めらる。而るに猶君に和順し、暗夜に迷い深雨を凌ぎ君の所に到る。また石橋の戦場に出で給うの時、独り伊豆山に残留す。君の存亡を知らず、日夜消魂す。その愁いを論ずれば、今の静の心の如し、豫州多年の好を忘れ恋慕せざれば、貞女の姿に非ず。 

そんなラブラブなふたりが愛を語り合ったといわれる腰掛け石が本殿の脇にある。

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ふたりの逢瀬の場になったということから、いま、伊豆山神社は恋愛成就のパワースポットとも呼ばれているとか。また、境内の梛の木は伊豆山神社のご神木で、頼朝公と政子さんはこの下で愛を誓いあったという話もある……なんか、書いていてこっちが気恥ずかしくなってきたわ……

ということで、お二人のことについてはこちらの記事にも書いたので、よろしければご一読くだされ。

伊豆の小さな国人にすぎなかった北条氏が、あれよあれよと天下をとった経緯には、しばしば不思議な家運を感じるわけじゃが、これはやはり伊豆山神社のご加護のおかげがあったからじゃろうと、あらためて感じた次第じゃ。

この後、わしらは十国峠をこえて箱根神社に向かったんじゃが、長くなってきたので、続きは次回に。