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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

六道の辻(六道珍皇寺)と閻魔大王の側近・小野篁…ねこのここねこ、ししのここじし

京都・六波羅ぶらぶら備忘録。本日は「六道さん」じゃ。六道珍皇寺があるこのあたりは、かつての平安京の葬送地であった鳥辺野の入口にあたる。そこで京都では、この地を「六道の辻」と呼び、現世と他界の境、冥界への入口とされているんだそうじゃ。

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あの世とこの世の境、六道の辻

 「六道」とは、地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人間道・天道の6つの冥界のことで、佛教の教義によると、人は因果応報により、死後、この六道を輪廻転生するといわれている。じっさいにそのような空間世界があるのかどうかはだれもわからんが、むしろ心の持ちかたと考えたほうがよいのかもしれぬ。すなわち、ワシは人間道じゃが、ときに修羅の道へと心がかたむくことおもある。できれば、天道で心穏やかにいきたいものじゃが、人間には業があって、なかなかそうはまいらん。

それはともかく、六道の辻のこと。京都では、8月13日から16日の五山の送り火までの盂蘭盆には、各家庭で先祖への報恩供養を行うが、その前の数日間に精霊を迎えるために、六道珍皇寺に参詣する風習がある。そう、「六道まいり」のことじゃ。

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こちらが境内にある「迎鐘」。この鐘のボワーンという音でお精霊さんをお迎えし、京都のお盆がはじまるといわれておるそうじゃ。ちなみに、寺町通の矢田寺には「送鐘」があり、送り火のときに精霊さんをお送りする鐘をつくらしい。

この珍皇寺は、参議篁こと小野篁卿の館があったところでもある。小野篁という人は剛毅な人で、昼間は嵯峨天皇に仕えて政務を補佐し、夜はここの井戸から冥府に通い、閻魔大王に仕えて裁判の補佐をしていたらしい。篁は身長六尺二寸(約188cm)とい巨漢だったというから、閻魔大王と並んでも遜色なかったかもしれぬのう。

本堂右奥のお庭には、篁が冥土へ通うために使った井戸がある。残念ながらこの日は公開していなかったが、近年では、冥土からの帰路に使った「黄泉がえりの井戸」というのも発見されたらしい。なんか隠し撮りみたいで気がひけるが、せっかくなので格子越しに撮影しておく。

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参議・小野篁について

小野篁は参議・小野岑守(みねもり)の長男。平安初期の官僚で、学者、詩人、歌人として名高く、武芸にも秀でていたという。文章生より東宮学士などを経て参議となり、「令義解」の編纂にも参画したというテクノクラートじゃったが、曲がった事が大嫌いな反骨精神旺盛な人物で、「野狂」「野宰相」とも呼ばれたという。遣唐副使に任じられたときは、大使の藤原常嗣の理不尽な要求に屈せず乗船を拒否。遣唐使とそれを派遣する朝廷を風刺する漢詩を詠んだことが嵯峨上皇の逆鱗に触れ、一時は隠岐に流されたりもしている

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これはおそらく創作じゃが、「宇治拾遺物語」には篁のこんな逸話がある。

天皇の時代に、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇は篁を呼び出し、これを読めと命じる。

篁「読めといえば読みますが、畏れ多いことですので、 あえて申し上げますまい」
天皇「かまわぬから読め」
篁「では……さが(悪)なくてよからん」

「悪」という字は「さが」とも読み、これは「嵯峨天皇がいなければよいのに」という意味だというのじゃ。

天皇「これはお前が書いたのだろう」
篁「ちがいます」
天皇「いや、お前が書いたから読めたのだろう。お前以外に誰がこんなことを書けるというのだ」
篁「いや、読めとおっしゃられたので読んだまでのことです」
天皇「ならば、お前はなんでも読めるというのか」
篁「仰せであれば」
天皇「ほほう……ならこれはどうじゃ!」

「子子子子子子子子子子子子」……嵯峨天皇は「子」という字を12文字書いて篁になぞなぞを出した。すると篁は……

篁「猫の子子猫、獅子の子子獅子(ねこのここねこ、ししのここじし)」

「子」は「ね」とも「し」とも読む。ゆえに「ねこのここねこ、ししのここじし」。嵯峨天皇は感心しきり、その怒りもたちまち解けたそうじゃ。

うぬぬ……こんな男が閻魔大王の側近くに仕えているというのじゃから、浮世の悪行など、隠しおおせるものではないのうwww