後鳥羽上皇 承久の乱で隠岐に流された後鳥羽院。じつはわし、過日、隠岐に行ってきたので、今回はその時の雑感を交えながら、承久の乱のあとの後鳥羽院の隠岐での生活、その後に起きた怨霊騒動について解説するぞ。
崇徳天皇を祀る御廟 菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれ、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建ってお…
とつぜんじゃが、みなは『未来記』という書物について聞いたことはあるか? あの聖徳太子が書いたとされる予言の書じゃ。中世の文献には、この『未来記』の名がたびたび登場してくるんじゃが、今日はこの『未来記』について書いてみたいと思うぞ。
護良親王(大塔宮) 大塔宮こと護良親王について話してみたい。わしは鎌倉幕府を滅ぼした殊勲者、MVPは護良親王じゃと思っておるんじゃが、後醍醐天皇の血を引くだけに強烈な個性の、まさに「暴れん坊」な宮様である。たしか大河ドラマ「太平記」では堤大二…
市河助房(「逃げ上手の若君」より) さて、今回は信濃国の武将・市河房助についてじゃ。アニメ「逃げ上手の若君」では、あの「キター!」という織田裕二ネタで著名な山本高広さんが声をつとめるようじゃな。山本高広さんって、声優だったのか? それはとも…
後醍醐天皇上陸地跡(島根県隠岐郡知夫村仁夫) 後醍醐天皇が一時配流となった隠岐。ところで、後醍醐天皇の行在所は隠岐のどこにあったのじゃろうか。最初に上陸したのは島前の知夫里島(知夫村仁夫)であったようじゃが、その後の1年半をどこでどう過ごし…
さてさて、今回は後醍醐天皇の隠岐脱出についてお届するぞ。どこまで真実かはわからんがその経緯は「太平記」にも詳しく記されておるので、まずはそれをベースに紹介したい。 後醍醐天皇 後醍醐天皇、隠岐へ配流 用意周到に準備された脱出計画 夜陰に紛れて…
西園寺公宗(大河ドラマ「太平記」) わし高時は後醍醐天皇を隠岐に流したが、さすがに弑し奉るまではしなかった。その中途半端さが鎌倉幕府滅亡に繋がったのじゃが、それでも帝を手にかけるなど、さすがに恐れ多くてできるわけがない。じゃが、それをやろう…
「二条河原の落書」は、鎌倉幕府が滅び、建武の新政が始まり、無茶苦茶になった世相を風刺した落書じゃ。建武元年(1334)8月頃、建武政権の政庁があった二条富小路近くの二条河原に掲げられたとされ、写本が現代にも伝わっている。 作者は不詳で、建武政権…
これはわしの遺児・万寿丸こと邦時、そして亀寿丸こと時行の物語じゃ。 鎌倉幕府が滅びたのは元弘3/正慶2年(1333)5月22日。その直前、新田義貞が鎌倉に攻め入る前に、わしは二人の息子を逃そうとしたんじゃが…。 先日始まったアニメ「逃げ上手の若君」でも…
長徳2年(996)1月16日、藤原伊周、隆家兄弟が花山法皇に矢を射かける事件が起きた。花山院闘乱事件じゃ。これにより中関白家の伊周と隆家は失脚したのじゃが(長徳の変)、今回はこの事件について詳しくみていこう。 花山天皇
今回は天下のさがなもの・藤原隆家についてじゃ。あの藤原道長も一目置いた中関白家の荒くれ者で、刀伊の入寇を撃退したことでも有名じゃ。大河ドラマ「光る君へ」では、竜星涼さんが演じるとのことで話題じゃな。 藤原隆家
慶応4年(1868)1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発した。ということで、今年はじめての更新は、鳥羽伏見の戦いについて書こうと思う。 鳥羽伏見の戦い 鳥羽伏見の戦いとは 圧倒的に優勢だったはずの幕府軍 そもそも徳川慶喜は戦うつもりはなかった 慶喜は会津…
令和6年、2024年は干支の組み合わせでいうと「甲辰(きのえたつ)」。ということで、辰年生まれの歴史人物、有名人を調べてみたぞ。
今年の大河ドラマ「どうする家康」。「松本潤の演技が軽すぎる」とか「史実とかけ離れている」「若者ウケを狙いすぎ」「CGがしょぼい」だの散々いわれ、視聴率も伸び悩んだようじゃが、わしは1年間、楽しめたけどな。総集編もしっかりみたので、とりあえずわ…
三浦半島一帯を治めた三浦党・津久井氏。横須賀の東光寺には津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔がある。 東光寺(神奈川県横須賀市)
「逃げ上手の若君」がアニメ化され、わが息子の北条時行への注目がますます高まっておるようなので、時行についてあらためて書いてみたいと思う。鎌倉幕府が滅亡した折、諏訪盛高に守られて信州へと逃れた亀寿丸こと北条時行。その5年後、中先代の乱決起し…
北条得宗家による専制政治が始まるのは北条時頼公の時代である。宝治合戦で三浦が滅び、建長の政変で摂家将軍を廃して親王将軍を擁立したことで、将軍権力が弱まり執権北条氏、特に得宗家への権力集中が進んだのじゃ。今回は「建長の政変」についてまとめて…
今回は北政所(おね、高台院)について少々。ドラマや小説などでは、北政所と淀殿との間には確執があり、そこに石田三成ら文治派と加藤清正、福島正則ら武断派の対立がからんで豊臣家臣団が分裂。そこを徳川家康につけこまれて関ヶ原の合戦に至ったというよ…
先日、「天空の城」「日本のマチュピチュ」として名高い竹田城に行ってきた。縄張りが虎が臥せているように見えることから別名は「虎臥城」。わしも早朝登山で雲海を目指したんじゃが、霧と雲海が出過ぎて眼下に眺めるというより、その真っ只中に入ってしま…
「鎌倉殿の13人」で注目された、義時公の兄・北条宗時殿は、はたしてどんな人物だったのじゃろうか。源頼朝の旗揚げにキーマンとして尽力し、非業の死を遂げた宗時殿について、まとめておくぞ。
数ある日本の名刀の中でも特別な存在とされる「天下五剣」。「童子切安綱」「三日月宗近」「大典太光世」「数珠丸恒次」とともに、その一振に数えられるのが、わが北条家相伝の「鬼丸」(鬼丸国綱)じゃ。今回は、歴代天下人も畏怖したという妖刀「鬼丸」に…
今回は斯波家長について。松井優征さんの「逃げ上手の若君」にも登場してくる足利一門におけるエリート中のエリートについてじゃよ。 斯波孫二郎家長(松井優征「逃げ上手の若君」)
今回はかつて訪れた旅の備忘録も兼ねて相馬中村藩について。相馬中村藩は6万石、藩主は相馬氏で家格は柳間詰め外様大名、後に帝鑑間詰め譜代大名に列せられている。戊辰戦争では初め奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦うも追い詰められて降伏。その後は…
今回は奥州相馬氏についてじゃよ。南北朝時代には足利方として陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦し、戦国時代を生き残り幕末維新を迎えた相馬氏は、なんでもそのルーツを平将門としているらしいぞ。
平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)
わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャ…
夏の長岡探訪備忘録のラスト。河井継之助の名言をいくつか集めて、わしもこれからの日々の仕事や人生の指針にしたいと思う。 河井継之助
今回も夏の長岡探訪備忘録の続きじゃ。北越戊辰戦争の激戦地、八丁沖古戦場パークに行ってきたので、その戦いと河井継之助の「口上書」(檄文)についてあれこれ書いてみたい。 八丁沖古戦場の碑(新潟県長岡市)
長岡探訪備忘録の続き。北越戊辰戦争の激戦地、摂田屋、榎峠古戦場、朝日山古戦場、森立峠など、ぶらぶらしてきたので、その旅日記じゃよ。 榎峠古戦場パーク