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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

浅田次郎さんの『柘榴坂の仇討』―桜田門外の変で不覚をとった彦根藩士のお話

今日は3月3日で上巳の節句、桃の節句、ひな祭り。万延元年の上巳の節句3月3日(1860年3月24日)、季節外れの大雪の中、大老井伊直弼桜田門外で水戸浪士らに襲撃され、非業の死を遂げている。いわゆる桜田門外の変である。

ということで、中井貴一さん主演で映画化が決定している、浅田次郎さんの『柘榴坂の仇討』を通勤読書。

 『柘榴坂の仇討』は、中央公論社新潮文庫より出版されている『五郎治殿御始末』に収められた短編で、あっという間に読み終えてしまったわけだけど、さすが浅田次郎さん、読ませます。


物語は、彦根藩士の志村金吾に、主君・井伊直弼の仇討ちの命が下り、13年後、明治になってから東京で刺客を探しだす、というもの。
桜田門外の変を描いた小説としては、吉村昭さんの『桜田門外ノ変』、舟橋聖一さんの『花の生涯』が有名だけど、彦根藩士の視点から、桜田門外の変を描く作品というのは、読んだことがなかったので、とても新鮮じゃった。
幕末の混乱と譜代筆頭の彦根藩という立場から御家取り潰しは逃れたものの、主君を殺され、10万石を削減された彦根藩にとって、この事件の衝撃は大きかっただろう。

赤穂浪士よろしく、仇討ちを考えた藩士たちもいたはず。じっさい、水戸斉昭は、植木職人に身をやつした彦根藩士の手によって暗殺されたという噂もあるそうな。

また、筑波山から京都に向かった水戸天狗党に対して、彦根藩中山道を封鎖し、直弼公の敵討ち!と、戦意を高揚させていたとか。

その後、彦根藩は長州征伐に借り出されるけれど戦意は低く、旧式装備で大惨敗。鳥羽伏見の戦いが勃発するや、下級藩士主導でいち早く薩長側について、水戸出身の徳川慶喜に叛旗を翻している。ちなみに、新撰組近藤勇を流山で捕らえたのは彦根藩だ。

会津藩新撰組にしてみれば「裏切り井伊」ということになるのだろうけれど、単純にそうともいいきれない部分は残ると思うんだけどね。


そんなわけで時代は急ピッチに明治の世へと移り変わっていったのだけれど、志村金吾の「時間」は、まだ桜田門外の変の当時のまま。
作品の冒頭、志村は何度も、あの日の夢を見る。
夢の中で志村金吾は、掃部頭様の御籠に寄り添うて歩く。緩い下り坂は桜田濠をめぐって御門へと続いている
歩きながら共侍たちに、異変が迫っていることを報せようとする。しかし声は出ない。
重く硬い合羽を脱がねば戦えぬ。柄袋もはずさなければ。しかし手指は動かせず、ただ足だけがまっすぐに桜田御門へと向かっていく。
ここからもう、すっかり物語の中へと引き込まれていく感じ。
ネタバレになると申し訳ないので詳しくは書かないけれど、志村はこの後、襲撃に加わった水戸脱藩浪士・佐橋十兵衛を探し出す。この佐橋もまた、身をやつし、明治の世を孤独に生きてきたのだけれど、2人は出会い、東京・柘榴坂でお互いに、武士としての「始末」をつけていくことになる。ちょうどその日、明治6年2月7日、新政府は「仇討ち禁止令」を出している。

なかなかうまい設定じゃのう。


ちなみに柘榴坂は現在の品川駅西口の向かい側にある坂。江戸期には薩摩藩島津家下屋敷、久留米藩有馬家下屋敷があったらしい。
うん十年前、大学卒業のとき、新高輪プリンスホテル園遊会があり、酒を飲んで酔いつぶれてこの坂をぷらぷらした記憶はあるが、今度、あらためて歩いてみようかなと思った次第。
 
9月の映画公開も楽しみじゃ。