湘南モノレールの湘南深沢駅の近く、旧JR東日本大船工場敷地脇に「泣塔」(なきとう)と呼ばれる宝篋印塔がある。ちょうどこのあたりは再開発地区になっているが、具他的にどうするのかは決まっていないようで、現在は多目的広場という名で放置されている だだっ広い場所じゃが、泣塔はその一画にひっそりと建っている。
その名の由来は、塔の周囲で泣き声のような音がすることから名づけられたとか、「無き人(無縁仏の意)の塔」が訛ったとか諸説ある。一時、近くの青蓮寺に塔を移したところ、夜な夜な元の場所を恋しがるようにすすり泣く声が聞こえたため元の場所に戻されという伝承もある。
泣塔は、このあたりの土地を所有した者は貧乏になるとか、泣塔を見ると1週間以内に幽霊をみるなどと噂されており、鎌倉では知る人ぞ知るオカルトスポットとなんじゃ。
戦前、この地に横須賀海軍工廠深沢分工場が造営されることになり、泣塔を取り壊すことになったが、撤去作業中に怪我人が出たり、付近で死亡事故が起こったり、夜な夜な異様な音が発生するなどの異変が起きたことから、取り壊しが中止になったんだそうじゃ。
かつての調査では、「文和五年丙申二月廿日供養了」という銘文が発見されておる。近くに新田義貞軍の堀口貞満と北条軍の赤橋守時が激戦を繰り返した洲崎古戦場があることから、背後のやぐらに葬られた戦死者の23回忌に、周辺の住民が供養のために建てたものと考えられている。
現在は塔の近くに柵がはりめぐらされ、勝手に中に入ることはできないが、鎌倉市に許可を取れば鍵を貸してくれるらしい。泣塔は無造作に放置されているようじゃが、国の重要美術品であり、鎌倉市の有形文化財なんじゃよ。
新田義貞の鎌倉攻めの時、赤橋守時率いる軍勢は60回以上も突撃を繰り返したと云われておる。矢尽き刀折れ、守時はこの付近の千代塚という場所で切腹するが、その場所がどこかは、いまとなってはわからない。ともかくも鎌倉のために、北条のためにこの地で亡くなった御霊に、あらためて哀悼の意を表したいと思う。
なお、赤橋守時についてはこちらも読んでいただければいれしいぞ。
近くには行けないので、写真はWikipediaより拝借。なお、わしは何度か泣塔を見ておるが、幽霊はみたことはないので、念のため。