新選組の斎藤一の写真が発見されたらしい。これまで斎藤一といえば、長男をもとに描かれたミスタースポックみたいな肖像画(左)と、西南戦争出兵時にとった集合写真のフランケンみたいなもの(中央、ただし子孫は否定)しかなかったが、ようやくまともなものが出てきて、まずはよかった。これじゃあ、ちょっと、イメージが……ね。
斎藤一の生涯
幕末、新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務めた斎藤一。新選組最強の剣士の一人といわれ、永倉新八は「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と、その腕前を表している。
戊辰戦争では仙台、箱館へと転戦する土方歳三とは袂をわかち、最後まで会津藩と運命を共にする。戦後は下北半島・斗南藩領の五戸に移住し、その後は東京に移って警視庁に奉職。
西南戦争では豊後口で警視徴募隊二番小隊半隊長として参戦している。警視庁巡査部長、警部補、麻布警察署詰外勤警部を歴任後、晩年は元会津藩士の斡旋もあり、東京高等師範学校、東京女子高等師範学校に勤務した。
発見された斎藤一(53歳当時)の写真
報道によると、発見されたのは東京高等師範学校(現筑波大)に勤務していた53歳当時の写真で、羽織はかま姿で膝の上に帽子を置いて座る斎藤一が写っている。後ろには軍服姿の長男・勉と着物姿の次男・剛が立っていて、そのお隣には妻・時尾さんの姿も!
斎藤一といえば、大河ドラマ「新選組!」ではオダギリジョーさん、「八重の桜」では降谷建志さん、映画「壬生義士伝」では佐藤浩市さん、映画「るろうに剣心」では江口洋介さんが演じている。
わし個人としてはオダギリジョーの印象が強い斎藤一じゃが、この写真のイメージは……竹中直人さん? そういえば、竹中直人さんもドラマ「壬生義士伝」で斎藤一を演じていたっけな。
この写真が撮影された明治30年は日清戦争の直後で、斎藤は東京高等師範学校で撃剣師範を務め、若者たちを鍛えていた頃じゃろう。斎藤の剣技は衰えることなく、その竹刀には誰ひとり触れることすらできなかったといわれる。
そういわれてみると、くつろいだ家族写真ながらも、幾多の死線をくぐり抜けてきた剣士の鋭い眼光を感じるではないか。
「時尾はよくできた女だ」…妻・高木時尾について
斎藤のとなりにすわる時尾さん。大河ドラマ「八重の桜」では貫地谷しほりさんが演じておったな。
高木時尾は会津藩大目付・高木小十郎の長女として生まれた。母の藤田克子は大変な美人であったらしい。長じて時尾は会津藩主・松平容保の姉・照姫付きの祐筆となる。
山本八重とは幼い頃からの仲良しであった。会津籠城戦で八重が夜襲に出陣する際、時尾さんが八重の髪を切ってあげたシーンはわしも強く印象に残っておる。
じつは斎藤一にとって時尾は2人目の妻。はじめ斎藤は、篠田やそという女性と結婚したらしい。やそはあの悲劇の自刃をとげた白虎隊士・篠田儀三郎の遠縁にあたる女性とのことだが、ふたりの間に子どもはなく、数年で別れてしまった理由もよくわからない(なお、最近では、斎藤一は篠田やそさんではなく、時尾さんが初婚だという説もあるらしいのでいちおう書いておく)。
会津落城後、会津藩家臣らが下北へ強制移住させられたときに、時尾も斗南に移住している。斎藤が結婚したのは明治7年のこと。松平容保、山川浩、佐川官兵衛が仲人をつとめたというから、会津人の斎藤への感謝の思いというのは、なみなみならぬものがあったんじゃろう。
なお、『るろうに剣心』では、斎藤が剣心に「時尾はできた女だ」という場面があるらしいな。わしはよく知らんけど。まあ、じっさいできた女じゃろう。なんせ、照姫さま付きの祐筆じゃからな。
斎藤が亡くなったのは大正4年(1915年)9月28日、享年72。死因は胃潰瘍じゃったが、床の間で結跏趺坐をして往生を遂げたと伝えられている。さすが斎藤一じゃ。
時尾は大正14年(1925)に死去。享年75。
夫婦の墓はともに会津の阿弥陀寺にある。