足利高氏と楠木正成が初めて対面する、ドラマ的にはきわめて重要な放送回じゃったが、見所は終盤にあった。片岡鶴太郎演じる北条高時と小田茜演じる顕子による塗り絵大会は。じつに盛り上がったぞ。
足利高氏、楠木正成を逃す
赤坂城が陥落し、花夜叉一座に紛れて逃亡を図る楠木正成。それを捕らえ、検分するのは足利高氏と土肥佐渡前司だったのじゃが……こら、高氏、どれもこれも見知った顔ぶれでバツが悪くないか? それに、どうみたって真ん中の男は怪しいじゃろう。
にもかかわらず、高氏はこやつらを放免してしまう。「冠者は女もけに来んけるやぁ~」と、ふざけた夜這いの舞を演じる正成を見て、高氏は「お見事!車引にしてこのうまさよ。この者たちは旅の一座に相違ない」と言い放つ。これ、まったくの茶番ではないか。
高氏は異議を申し立てる土肥佐渡前司を、「この高氏、人を見る目にいささかの自負がある」と威圧して取りつく島もなし。かくして幕府軍は正成を取り逃してしまう。鎌倉にとって、じつにお粗末、痛恨の極みである。
「お尋ねにお答え申し候。戦は大事なもののために戦うものと存じおり候。大事なもののために死するは負けとは申さぬものと心得おり候。それゆえ、勝ち目負け目の見境なく、ただ一心不乱に戦をいたすのみで御座候。車引き」
花夜叉一座が去った後、矢文で届いた正成から高氏へのメッセージも意味がわからん。正成のいう大事なものとは何ぞ。高氏も正成も、大事なもののために戦った結果はどうじゃ。70年もの長きにわたり、この国に二人の天子が現れて相争う争乱を招くんじゃぞ。これをどう説明するんじゃ?
関東申次・西園寺公宗が登場
高氏は京に戻ると、戦装束も解かぬまま、六波羅に出仕する。そこへ北条仲時らとともに公家の西園寺公宗がやってきて、「なぜ着替えてこぬ」と高氏をなじる。公宗は北条方への憎悪を駆り立てる典型的な意地悪まろのキャラの設定じゃな。
「同じ関東武士でも、北条殿と足利殿では人と犬ほども作法が違うようじゃ。おほほほほ…」
都はすでに光厳天皇の御代にうつっておる。西園寺家は関東申次として代々、鎌倉とのパイプが強い。公宗は持明院統推しであり、鎌倉幕府滅亡後には、わが弟・北条泰家(時興)とともに後醍醐天皇の暗殺を企て、処刑された公家。そんなわけで、嫌なまろキャラに描かれるのは、仕方がないじゃろう。
ドラマの高氏は直義の助言を聞き入れ、再び西園寺公宗に挨拶に行く。じゃが、そこでも高氏は「はて、ご尊顔を拝すには、いささか遅すぎるのではないか? 暇なら北畠殿や大覚寺統の方に申されてはいかがか?」などといけずをされてしまう。
「京の都も鎌倉と同じになってしもうた。美しい都ではのうなった。なぜかのう。わしには、やはり帝は、今でも先帝お一人のように思えるのだ」
直義に愚痴をこぼす高氏。おいおい高氏、そんなことをいうが、建武政権を裏切ったあと、そちは光厳院を担ぎ上げておるではないか。どの口がいうのじゃ。
そもそも京の都とは古からそうじゃ。公家は武家など犬としか思うておらぬ。大覚寺統も持明院統もそれは大差ないし、日野俊基にしろ北畠親房にせよ、それは同じ。ゆえに源頼朝公が幕府を開き、わが北条が鎌倉を守り、武士の地位を高めてきたのじゃ。此度の戦でも、高氏は手抜きで大した働きもしてないのに従五位上の位階を賜っておるが、それは幕府の口添えがあったから。そうした経緯をすっかり忘れて鎌倉に弓を引くなど、あってはならぬことなんじゃ。
ちなみに「花園天皇宸記」には、赤坂城が落ちたあと、大仏貞直はきちんと挨拶にきたが、足利高氏はとっとと鎌倉へ帰ってしまい、花園上皇を呆れさせたという記録がある。その時点で高氏が鎌倉を裏切る決意をしていたというのはいささか考えすぎじゃろうが、やはり貞氏の喪が明けぬうちに戦に駆り出したことを恨んでおったのかもしれぬな。
一方、捕らえられた先帝は粗末な板屋に押し込められてご立腹。「探題を呼べ〜!」「仲時を召せ!」「かかる仕打ちやある!仲時を呼べ~!」「とく火をもて、たれかあーる!」と騒ぎ立てる。
千種忠顕が諫めると先帝は、「身体が温まる」「髭が伸びて人間らしくなってきた」「朕は必ず生き抜いてみせる」など、強気の姿勢を崩さない。
そこへ新しい牢司として佐々木道誉がやって来る。判官は火桶をもってきただけでなく、阿野廉子を連れてきてやるなどと、先帝に媚び諂う。判官め、まったく節操がない。このあと、判官は隠岐へと先帝を護送することになるのじゃが、まったく油断のならぬ男じゃよ。
先帝を殺し、浄土も見ねばならぬ……
鎌倉では、長崎円喜が足利への不審をあらわにしていた。さすがは円喜、呑気な高資とは違う。
「この円喜には、こたびの戦ぶりには解せんものがある。とりわけ足利殿の戦ぶりは解せん。六波羅探題は何も気付いてはおらんが、この円喜の目はごまかせぬ。足利殿の戦は戦にあらず。何故じゃ……解せぬ。
円喜は足利への警戒をゆるめず、貞氏の葬儀を鎌倉で行うことに自粛を求める。葬儀となると足利一族が諸国から鎌倉にやってくる。西国での騒乱の余韻が残る時節柄、これはやはり不穏じゃからな。高氏は一応納得するが、そのまま引き下がるのも家臣の手前かっこ悪いからと、嘆願書をもって得宗屋敷を訪れる。
高氏は嘆願書を差し出そうとすると、控えていた長崎高資が「それはもう決まったこと」と威圧する。
「これ、高資!足利殿に口が過ぎようぞ。もうよい、もうよい」
高時が無礼を咎めると、高資は憤然として席を立ってしまう。こういうところが、高資のよくないところじゃ。高時は人としての礼を重んじるタイプじゃ。それに足利は北条の縁者であり、此度は無理を行って戦に行ってもらった。従五位上の位階も賜っておる。せっかく来たんじゃし、話くらいは聞いてやるのが太守としての礼というものじゃろう。
高時は高氏に手づから描いた仏画を見せる。なかなか上手に描けているではないか。高時を演じた片岡鶴太郎は、このあと、画家としての才を発揮し、名を成すことになる。これはやはり北条高時を演じた経験が生きているに相違ない。
「足利殿、近頃わしはこのような絵を描いておる。これを描きながら念仏を唱えれば、極楽浄土に行けると母御前が教えて賜ふたのじゃ。じゃが、どうもわしには極楽は見えてこぬ。ある僧侶がこう申した。仏の顔は我ら凡俗には生涯見え申さぬ。ただ信ずる他は無い、信ぜよ。顔も見えぬ仏をどうやって信ぜよと申すのか。わしにはとんと判らぬ。足利殿、目に見えぬものを信じられるか?」
「信じとうございます」
「たとえば何を信じる?」
「得宗殿のお慈悲の御心を」
「慈悲は犬に喰わしてしもうた。長崎がそういたせと申すのでな。長崎は先帝も隠岐で殺せと申す。それが世の安泰のためじゃと。畏れがましきことよのう。だが母御前は、長崎と仲良うせよと仰せられる。それが鎌倉のためじゃと。わしにはとんとわからぬ。先帝を殺し奉り、浄土も見よと申すのか。とは申せ、この高時あるは、母御前のおかげ、長崎のおかげじゃ。先帝も殺し、浄土も見ねばならぬ。わしは忙しい」
高氏が呆然としていると、顕子が、わしが描いた仏画に塗り絵を始めてしまう。これがじつに楽しそうなんじゃ。
思わず顕子に飛びつき、戯れ始める高時。せっかくじゃから高氏も一緒に遊べばよいのじゃが、この朴念仁はそういう芸当は無理なようじゃ。しかも、わしが高氏の書状を手拭きに使ったのをみて、怒って出て行ってしまう。
高氏、怒っていたのう。さすがにこれはやりすぎじゃったかもしれぬ。もっともわしに悪気はないのじゃがな。いずれにせよ、西園寺公宗のいけずとダブルパンチで、高氏の北条への憎しみは、もはやぬぐいきれぬものとなってしまったようじゃ。
まあ、それはよい。それより顕子のことじゃ。
幼女・顕子を演じたのは第4回全日本国民的美少女コンテストでグランプリをとった小田茜さん。ほとんどセリフはないが顕子じゃが、暗愚よ、うつけよと陰口をいわれる高時にとってはそばにいると心休まる存在として、いきなり登場してきた。このあと、神回・鎌倉炎上にむけて、きわめて重要な役回りとなるから、片岡鶴太郎の怪演とともに、この先もぜひ注目してほしいぞ。