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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

攻防赤坂城〜楠木正成逃亡、後藤久美子さんの北畠顕家も初登場。大河ドラマ「太平記」第13回の感想など

今回も高時の登場はなし。じゃが、後藤久美子さんの北畠顕家近藤正臣さんの北畠親房が登場。赤坂城の攻防も、なかなかに見応えがあったぞ。

北畠顕家

北畠顕家登場

足利高氏が滞在する上杉憲房邸に北畠顕家が訪ねてくる。庭では家臣の大高重成たちが北畠顕家と弓の腕比べをして騒いでいる。なんでも、顕家が大高らの弓をみて、そのしょぼさをみて笑ったというのじゃ。いくら小童とはいえ、坂東武者としてはこれは許せんな。

的は松の枝に糸でつるした一本の針。大高は三度試みてこれを外すが、なんと顕家は一発で仕留めてしまう。

「よく針が見えましたの」
「見てはおりません。神仏のお導きにございます」
「なんと、北畠殿の弓には神仏がついておられるのか?」
「はい」

北畠顕家は文保2年(1318)の生まれじゃから、この時、わずか13歳。父は後醍醐帝の「三房」の一人、北畠親房じゃ。元弘元年(1331)3月、笠置の戦が始まる直前のことじゃが、後醍醐帝は西園寺公宗の北山第に行幸しているが、顕家もこの供をし、帝の前で「陵王」を舞ったことが『増鏡』に記されている。

陵王の輝きて出でたるは、えも言はず面白し

そんなふうに記されておるし、やはり美少年だったのかもしれぬな。だとすると、後藤久美子さんというのは、じつにぴったりじゃ。

なお、高氏が親房のところへ向かったと聞いて、直義が師直に「なぜ止めなかったのじゃ!」と詰め寄る場面があった。師直は饅頭を食いながら、「殿は足利家の惣領。いちいち弟君のお許しをいただかねばならぬいわれはございませぬ」と言い返す。ムキになる直義。後の観応の擾乱を想起させる伏線として、なかなかに興味深い場面じゃったぞ。

北畠親房

高氏が北畠親房の屋敷に入ると、そこには佐々木道誉がいた。それにしてもこやつ、どこにでも出没するのう。

「どうにも分からん男じゃ…朝廷に同心すると申しては鎌倉に浸りきり、鎌倉方かと思えばこうして何の前触れも無しにこちらの顔色を見に来る…およそ節操というものがない」

親房の言うとおりじゃ。わしの前ではよい犬とよい一座をかこうよい男を演じ、過日は円喜に土下座して慈悲を乞うたりしておったくせにな。

日野俊基の次は北畠親房か?どうも御辺は怪しい」

道誉は高氏にこう言っていたが、「いったいどの口が言ってるのじゃ?」とつっこんでやりたくなったぞ。

さて北畠親房のこと。北畠氏は村上源氏の流れをくむ名門で、親房は後醍醐帝の皇子・世良親王の乳人をつとめておった。

北畠親房

もともと後醍醐帝は世良親王を皇太子にしたいと考えており、親房もまたその意を組んでいたはず。じゃが、後醍醐帝は大覚寺統の中でも直系ではなく、いわば中継ぎの帝。それゆえ、同じ大覚寺統でも次は後二条天皇の皇子・邦良親王を推すのが筋であり、その実現性は低かった。

そこで後醍醐帝は、関東申次西園寺公宗のルートを通して世良親王を皇太子にすべく、鎌倉に接近した節がある。じゃが、あに図らんや世良親王は早世してしまい、後醍醐帝のプランは崩れた。けっきょく邦良親王立太子し、その次は持明院統量仁親王(後の光厳天皇)と決定し、後醍醐帝のプランは崩れてしまう。

そして、大覚寺統持明院統双方からも譲位を迫られ、幕府もそれを支持した。そこで破れかぶれになった後醍醐帝は日野資朝、俊基らと討幕に動き出したのが事の真相ではないか。わしはそう睨んでおる。

親房はこれには与しなかった。そりゃそうじゃよ、誰がどう見ても無理筋じゃし、無謀じゃからな。親房は世良親王が急死すると政界を退く。とはいえ、後醍醐帝の身を案じてはいたのじゃろう。

親房は笠置で宮方の兵に矢をいなかった高氏に、先帝の命を守ってくれと頼む。

「何故に? それがしも鎌倉の者にございますが」
「此度の戦で、宮方に矢を射らなかったのは足利の兵のみ」
「そは、何かのお間違い。わしは鎌倉に忠義を尽くす者。此度の顕家殿の矢に宿る神仏に導かれてのもの。さりながら、帝を弑し奉るのは高氏も本意ではない。この高氏が鎌倉の陣にいる間はご安心くだされ」

高氏、わかっておるではないか。わしも先帝を殺すというのはしのびないと思うておるしな。その措置は鎌倉でしっかり評定してから決めることじゃからな。じゃが、鎌倉のためを思えば、こっそり弑し奉っておくのが正解だったかもしれんがな。

高氏が親房の部屋を出ると、またまた道誉が待っていて高氏に声をかけてくる。「まだ早い。駒不足じゃ」「やるなら勝たねばならん。勝てぬならやらぬが良い」などと問わず語りで、高氏にかまをかける。じゃが、高氏は道誉に翻弄されたときの小童ではない。表門には六波羅の目が光っているから裏口から出るよう道誉に忠告された高氏は、あえて表門から出ていく。この場面は、なかなかに痛快ではあったぞ。

赤坂落城 

やがて2万の幕府軍楠木正成が立て篭る河内へと進発する。高氏は直義を京に残し、先帝を守護するよう命じ、自身は伊賀から赤坂城を目指した。

楠木正成の立て籠もる河内の赤坂城ではわずか500の楠木勢が山岳ゲリラ戦で幕府軍を大いに悩ませ、かれこれ一ヶ月も死闘を繰り広げていた。

攻防赤坂城

ましら戦況については、ましらの石から伊賀の藤夜叉に逐一伝えてくる。藤夜叉はそれを一色右馬介が変装した柳斎さんに読んで聞かせていた。

そこへ花夜叉が一座を率いてやって来る。花夜叉は藤夜叉に、石を助けたいなら柳斎どのに頼むがよいと、柳斎から高氏に頼め、と言い出す。正体がばれた柳斎は逃げようとするが、一座の者に取り囲まれてしまう。

観念して座り込んだ柳斎に、花夜叉は自分が正成の妹・卯木(うつぎ)であることを告げ、伊賀に逃げてくる正成の命を救ってほしいと頼む。

「此度お助けいただければ、いずれ楠木は必ず足利殿のお助けになります」

ちょっと待て柳斎、いや、右馬介。それはいかんぞ。ここで楠木を殺しておけば、幕府は安泰、北条も足利も盤石じゃ。右馬介、読み違えてはならぬ。情に流されてはいかんぞ。

しかし、池畑俊策さんの脚本は、旅の一座がけっこう重要な役回りをはたすようじゃな。樋口可南子さん=花夜叉、宮沢りえさん=藤夜叉は、いま大河で放送中の「麒麟がくる」の尾野真千子さん=伊呂波太夫門脇麦さん=駒に似ている。

元弘元年10月21日、ついに赤坂城が落ちる。正成は石を先導役に、伊賀へと逃げて再起を図る。そして、高氏は兵を率いて伊賀へとやってくる。藤夜叉、不知哉丸(いざやまる)との運命の再会は次週、ということで。

なお、「太平記のふるさと」コーナーは、いつもの倍くらいの時間をかけて「坂東武者」として宇都宮公綱と 紀・清両党を紹介していたが、宇都宮公綱? 宇都宮高綱じゃないのか? そちは、わしがあげた「高」の字は捨てたのか? 

節操がないのは、判官だけではないようじゃな。