謹賀新年。平成最後のお正月、いかがお過ごしじゃろうか。今年は「亥年」ということなので、亥年生まれの歴史人物などなど、まとめておくぞ。
なお、昨年は某氏が著書へのWikiからのコピペ疑惑で炎上する事件が起きているが、当記事はWikiをソースにしていることをあらかじめ明言しておくので、そこのところよろしくご寛恕くだされ。
亥年生まれの名執権
まずトップバッターは鎌倉幕府第8代執権、北条時宗公。建長3年(1251)の亥年生まれじゃ。高飛車な蒙古の使者を斬り、夷狄を追い払った名執権として有名じゃな。外交儀礼を知らない野蛮人という非難は当たらんぞ。鎌倉幕府は武家政権なんじゃから、これでよいんじゃよ。ただ、国難に対峙するストレスで命を擦り減らし、34歳という若さで過労死してしまったのは実に惜しいところじゃ。
時宗公のお父上、北条時頼公も嘉禄3年(1227)、亥年生まれじゃ。鎌倉幕府5代執権で、これまた善政を敷いた名君として知られておる。水戸黄門に先駆けて、全国を旅して民情視察を行なった話は、能の「鉢の木」でも有名じゃな。
そのほか、平安鎌倉期の亥年生まれとして、保元の乱で怨霊になってしまった崇徳天皇(元永2/1119年)、「方丈記」の鴨長明(久寿2/1155年)、南北朝期に活躍した後醍醐天皇の皇子・宗良親王(応長元/1311年)をあげておこう。
亥年生まれの戦国武将
亥年生まれの戦国武将には小田原の北条氏康がおるぞ。永正12年(1515)の亥年生まれじゃ。あの上杉謙信、武田信玄と互角以上に渡り合い、「祿壽應穩」「四公六民」を掲げて関東に王道楽土を築いた名将じゃな。「酒は朝に飲め」という名言は、ぜひ覚えておきたい。
土佐の出来人・長曾我部元親も忘れてはなるまい。元親は天文8年(1539)の亥年生まれ。お坊さんに「四国統一なんて、薬缶の蓋で水瓶の蓋をする様なもの」と揶揄されると、「ならば、わしが鋳た蓋で四国全土に蓋をしてみせよう」と啖呵を切り、やり遂げてしまった有言実行の男じゃ。
ちなみに、元親から家督を嗣いで家を滅ぼしてしまった長宗我部盛親も天正3年(1575)の亥年生まれ。そのほか、亥年の戦国武将といえば、明智光秀の娘・ガラシアの旦那の細川忠興、賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明(ともに永禄6/1563)、徳川四天王筆頭の酒井忠次(大永7/1527)、豊臣五奉行の一人・前田玄以(天文8/1539)らがおるぞ。
幕末を駆け抜けた亥年生まれの男たち
幕末の亥年生まれといえば、まずは「動けば雷電の如く…」の高杉晋作。天保10年(1839)の亥年生まれじゃ。幕末長州の尊王攘夷の志士で、奇兵隊を創設するなど、維新回天の原動力となった男で、もはや説明は不要。「おもしろきこともなき世を面白く」、まさに猪突猛進で突っ走った人生といえるじゃろう。
高杉晋作の師匠・吉田松陰を殺した大老・井伊直弼も文化12年(1815)の亥年生まれじゃ。直弼の政敵・徳川慶喜からは、「才略には乏しいが、決断力のある人物」と評されたらしい。幕権回復のため、開国に、安政の大獄にとこれまた猪突猛進したが、桜田門外で非業の最期を遂げてしまった。
そのほか、安政の大獄で殺された小浜藩士・梅田雲浜(文化12/1815)、呑んべえの土佐藩主・山内容堂、ジョン・マンこと中浜万次郎(ともに文政10/1827)も亥年生まれじゃよ。
亥年生まれの近現代の政治家たち
近現代の政治家では、第5代国民政府主席、初代中華民国総統の蒋介石が1887年の亥年生まれじゃ。孫文の後を継いで中華民国統一を成し遂げたが、毛沢東率いる中国共産党に敗れて台湾に逃れ、以後、大陸に足を踏み入れることなく没しておる。40代にして、すでに総入れ歯だったという話もあるぞ。
ちなみに元中華民国総統の李登輝も1923年生まれの亥年じゃよ。
「貧乏人は麦を食え」で有名な第58、59、60代内閣総理大臣・池田勇人も明治32年(1899)の亥年生まれじゃ。問題発言が多い政治家じゃったが、所得倍増計画など日本の高度経済成長を推し進めた。困難に直面しても「山より大きな猪は出ないよ」と口癖のように語ったというから、亥年生まれの面目躍如じゃな。
最近では、ルーピー鳩山こと第93代内閣総理大臣・鳩山由紀夫も昭和22年(1947)年生まれの亥年じゃ。鳩山元首相については、もうわしがコメントできるような人物ではない。もはや宇宙人レベルをはるかに超えてしまっておるから、割愛させてもらおう。
そのほかには、第70代内閣総理大臣の鈴木善幸も明治44年(1911)年生まれの亥年じゃよ。
文化・芸術分野で活躍した亥年生まれの有名人
文学の世界に目を転じれば川端康成がおるぞ。明治32年(1899)生まれで、代表作は『伊豆の踊子』『雪国』など。日本人初のノーベル文学賞受賞と世界的にも著名じゃが、1972年(昭和47年)4月16日夜、逗子マリーナの一室でガス自殺。72歳。遺書はなかった。
そのほか、作家では『鬼平犯科帳』『剣客商売』などでおなじみの時代小説作家・池波正太郎(大正12/1923年)、『沈黙』『海と毒薬』の遠藤周作(大正12/1923年)、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎、「団塊の世代」の名付け親・堺屋太一、漫画家の赤塚不二夫(いずれも昭和10/1935年)が亥年生まれじゃ。
芸術家の岡本太郎も亥年、明治44年(1911)生まれじゃ。「芸術は爆発だ!」とテレビで叫んでいた岡本太郎をご記憶の人も多いじゃろう。なお、片岡鶴太郎さんが芸術家として名を挙げたのは、バラエティ番組で岡本太郎と共演し、才能を見出されたのがきっかけだったとか。
そのほか、指揮者の小澤征爾も昭和10年(1935)の亥年生まれじゃよ。
芸能・スポーツ分野で活躍した亥年生まれの有名人
芸能界に目をうつすと、北野武(ビートたけし)がおるぞ。昭和22年(1947)の亥年生まれじゃ。お笑いタレントとしてはもちろん、司会者、映画監督、俳優としてマルチに活躍じゃが、もう72歳なんじゃな。「コマネチ!」とかやっていた時代は、もう記憶のかなたじゃ。
ちなみに、同級生には、俳優の西田敏行、寺尾聰、女優の泉ピン子、あき竹城、歌手の森進一、コメディアンのせんだみつお、稲川淳二、キャスターの小倉智昭らがおるぞ。
そして世界の渡辺謙も昭和34年(1959)生まれの亥年。「独眼竜政宗」でブレイクしたが急性骨髄性白血病を発症。約1年の闘病の後、治療を続けながら復帰。「ラストサムライ」でハリウッド進出を果たしたことをきっかけに、今ではすっかり「世界の渡辺謙」となってしまった。
なお、謙さんの同級生には、山口百恵、田中美佐子、榊原郁恵らがおるぞ。
宇多田ヒカルさんも昭和58年(1983)生まれの亥年じゃよ。「Automatic」を初めて聴いた時は衝撃的じゃったな。昨年はイタリア人男性との離婚が話題になったが、安室奈美恵が引退した今、歌姫は宇多田ヒカルしかいないじゃろう。
なお、宇多田ヒカルさんの同級生には、俳優では鈴木亮平、松田龍平、山田孝之、女優では小倉優子、矢口真里、上原多香子、ジャニーズでは二宮和也、松本潤、そして元なでしこの丸山桂里奈らがおるぞ。
スポーツの世界では野村克也さんが昭和10年(1935)生まれの亥年じゃ。ボヤキのノムさんも昨年、奥様のサッチーを亡くされて、ずいぶんと元気がなくなってしまった印象じゃが、球界のご意見番として、まだまだ頑張って欲しいものじゃ。
スポーツ界では、日本代表GKの川島永嗣、ホークスの「熱男」こと松田宣浩、ライオンズの「おかわり君」こと中村剛也(昭和58/1983年)らがおるぞ。
そのほかにも、竹野内豊、ユースケ・サンタマリア、西島秀俊、遠藤憲昭、藤原紀香、山崎まさよし、羽鳥慎一(以上、昭和46/1971年)らが亥年生まれじゃよ。
平成の亥年生まれといえば…
平成の亥年生まれもたくさんおるが、個人的な好みとして一人あげるなら、やはり生駒里奈じゃな。平成7年(1995)の亥年生まれじゃ。 乃木坂46を卒業してから、テレビでみる機会はぐんと減ったけど、これからは女優として頑張ってほしいと切に願っておるところじゃ。
平成7年(1995)の亥年生まれには、土屋太鳳、川口春奈、川栄李奈、りゅうちぇる、入山杏奈、玉井詩織、佐々木優佳里らもおるぞ。
亥年生まれの忠犬ハチ公
そうそう、番外編ということで、こちらを忘れてはなるまい。有名人ならぬ有名犬の忠犬ハチ公も、大正12年(1923)の亥年生まれなんじゃよ。
亡くなった飼い主の帰りを渋谷駅の前で約10年間待ち続けたという秋田犬じゃ。左耳が垂れているのは野犬に噛み付かれたからだとか。ハチは青山霊園ので飼い主の墓のすぐ隣に葬られておる。
ちなみに、歌手の三波春夫が忠犬ハチ公の同級生で、大正12年といえば、関東大震災が起きておるぞ。
閑話休題
ということで亥年生まれの歴史人物、有名人を調べてみた。これ、毎年やっているが、共通点があるのかないのか、いつもよくわからん。2019年の干支は「己亥」で、どんな年になるのかを、いろんな人がいろいろ言ってるが、それもどこまでまともな内容なのか、これもよくわからん。
そもそも「干支」は、中国殷の時代に起源をもつこ暦法で、「十干」と「十二支」の組み合わせたもの。そこに万物を創り出すエネルギーの成長・発展・収縮していく過程を見出そうというものじゃ。
世間では「十干」は無視して「十二支」、つまり鼠とか虎とかばかりを気にするが、これは干支が普及するにつれて、いつとなく動物を当てるようになったもので、本来は動物とは直接関係ないものらしい。とはいえ、でたらめな動物を当てたわけではなく、「十二支」の漢字がもつ意味やエネルギーにぴったりな動物が選ばれておるようで、ラストの「亥」には、イノシシのような爆発的なエネルギーがあると考えられていたわけじゃな。
ということで平成最後の年となる2019年は亥年。今上陛下が退位され、5月1日には皇太子殿下が新天皇に即位され、元号も変わる節目の年となる。今振り返れば、昭和から平成に改元したとき、世相は確実に変わっておるように感じる。2019年も後年、そんな風に言われる一年になることは間違いないじゃろう。
どうか「亥」のエネルギーが、トンチンカンな方向に発揮されないことをひたすら祈っておる。勇ましいのも結構じゃが、まずは平和で穏やかな日々が続くことが一番じゃよ。