鎌倉にある「北条高時腹切やぐら」。わしら北条一族終焉の地として知られておるスポットじゃ。じゃが、心霊スポットとして知られているらしく、夏になると肝試しにやってくる不逞の輩がいると聞く。 はっきりいっておくが、ここは心霊スポットではないぞ。「霊処浄域につき参拝以外の立入禁止」という立て札が目に入らんのか!
心霊スポットではなく霊処浄域です
ネット上には「北条高時腹切りやぐら」にまつわる心霊現象の目撃情報がたくさんある。
- 写真を撮るとオーブが写る
- お供えした水が減る
- 訪れると気分が悪くなる
- 落武者の霊を見た
現地を訪れる心霊ユーチューバーもおるようじゃな。確かにここは「霊処浄域」じゃ。それゆえ、鎌倉の喧騒とはちがって静かじゃし、空気感は独特なものがある。じゃが、日中、普通に訪れる分には何も怖いところでもなんでもない。「太平記」や「逃げ若」を読んで北条を好きになった人には、ぜひ訪れて静かに一門の冥福を祈ってほしいぞ。
もちろん夜中に肝試しとかする不逞の輩にはわが郎党の霊が現れて追い払おうとしているかもしれない。とにかく近隣住民の迷惑になるから、夜に騒いだりするのはくれぐれもやめてほしい。訪問する時は「霊処浄域」ということを忘れないようにしてほしい。
あらためて「北条高時腹切りやぐら」とは
元弘3年(1333年)5月22日、新田義貞の軍勢に攻められ、わし高時と北条一族郎党800余人は東勝寺で自害した(東勝寺合戦)。
日本の歴史上、政権が瓦解する時に、これほど為政者一族が打ち揃って悲惨な最期を遂げたという例はない。後世、足利も徳川もとんずらしておるからな。
「やぐら」というのは、鎌倉あたりにみられる、中世の上流階級の墳墓のこと。山の斜面などに横穴を掘り、そこに火葬した遺骨を納めたり、五輪塔などを置いて供養をするものじゃ。
この高時をはじめとする一族郎党の菩提を弔うためにつくられたのが、この「北条高時腹切りやぐら」じゃ。そのまんまのネーミングゆえ、わしがこのやぐらの中で腹を切ったと思っている者もおるようじゃが、それはまったくの誤解じゃよ。
東勝寺跡での発掘調査では、高温で焼けた土層はあったものの、そこから遺骨は出てこなかった。骨は新田の兵や時宗の僧侶たちによって葬られたといわれておる。
昭和40年代、鎌倉市浄明寺の釈迦堂奥やぐら群では大規模な宅地開発があり、その際に「元弘三年五月廿八日」の銘のある五輪塔の一部が発見されている。東勝寺合戦から初七日にあたる日じゃ。釈迦堂の奥やぐらには、古くから戦死者の遺体を葬ったとの伝承があったが、まさにそれが裏付けられたというわけじゃ。
腹切りやぐらを管理している宝戒寺は、かつて北条執権邸があった場所で、足利尊氏がわしらの供養のために建立したお寺じゃ。宝戒寺には徳宗大権現社という、わしを祀る祠があり、毎年、命日の5月22日には法要が営まれておる。機会があれば、ぜひお越しいただき、手を合わせてほしい。
腹切りやぐら参拝へのアクセス
住所は鎌倉市小町3。JR鎌倉駅東口から徒歩で15分ほど。小町大路から滑川に架かる「東勝寺橋」を渡り、山側へ向かっていく。途中に東勝寺跡もあるぞ。案内板がしっかりあるから迷うことはないじゃろう。
やぐらの中には五輪塔と塔婆が立てられている。かつては北条一族の子孫である故・高倉健さんが備えた塔婆もあった。ただし現在、腹切りやぐらの中は危険防止のため立ち入り禁止となっているらしいけどな。
ちなみに、わしの廟所は北鎌倉にある円覚寺塔頭の仏日庵じゃ。Wikipediaには、この腹切りやぐらがわしの墓所と書いてあるが、それは違うからな。
私のやぐらの前で泣かないでください。
そこに私はいません。
眠ってなんかいません。
ここにねんのため付記しておくぞ。