今回、せっかく小千谷に行ったので、東忠さんでランチをしてきたぞ。小千谷の東忠さんは江戸時代からの老舗。河井継之助は慈眼寺の小千谷談判のあと、ここで遅めの昼食をとったことでも知られる。当時の座敷も保存されていて、見学させてもらったぞ。
前回、小千谷を訪れたときはなんとなく敷居が高いような気がして、貧乏歴ヲタお一人様と言うのは場違いで気が引けて遠慮したんじゃが、今回は思い切って電話で予約して行ってみた。
国の登録有形文化財に登録されているという三階建ての建物は歴史を感じる。汗ダラダラでみすぼらしい入店じゃったが、お店の方は気さくて丁寧に接してくれた。建物内にはカフェもあるし、わしのようは歴ヲタ客でも安心して入れたぞ。
おしながき
いただいたのはランチメニューの東忠御膳(2,200円)じゃ。
- 前菜
出汁巻玉子、鯖焼き、ミニトマトレモン煮、青紅葉麩、揚げ舞茸、カリフラワー、車麩チーズ焼き、帆立新引揚げ、ローストビーフ - 小付 季節の和え物
- お造里 旬の鮮魚二種盛り
- 蒸し物 冷やし茶碗蒸し(鶏肉、トマト)
- 煮物 筑前煮(蓮根、蒟蒻、人蔘、鶏肉、印元、牛蒡)
- 食事 桜飯 青身
- 味噌汁
- デザート
ほんとうは美味しい新潟の日本酒も味わいたかったが、クルマだったので断念。継さ気分でいただいたぞ。
「味噌漬飯ほどうまいものはない」司馬遼太郎さんの『峠』で河井継之助が絶賛した桜飯。大根の味噌漬けを刻んでご飯と一緒に炊き込んだものじゃ。
桜飯は必ずしも新潟名物というわけではないようで家庭で一般的に食されているわけではないらしい。当時の武士階級だけで食べられていたのじゃろうか。
わしは食レポは苦手なので小並感なコメントで恐縮じゃが、とにかく素朴でうまかったぞ。
継之助が昼食をとった梅の間
小千谷談判は不調に終わり、継之助は無念の思いを抱きながら、郷宿の野七に帰る途中、ここに立ち寄り遅めの昼食をとった。そのお部屋は二階の梅の間じゃ。せっかくなので見せてもらった。
ここで食事をとりながら、継之助は今後どうするかを深く思案していたことじゃろう。このあと、継之助は、なおも諦めきれず同行の二見虎三郎を西軍陣営に遣わせ、自らも慈眼寺を訪れて談判の継続を願い出たが門前払いを食らっている。
「武装中立」の夢は破れた。継之助の無念はいかばかりか。じゃが、継之助は武士であり、陽明学徒である。「そういうことなら目にもの見せてやろう」と闘志を燃え上がらせていたに相違ない。
なお、河井継之助と小千谷談判についてはこちらを。