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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

今年の干支、「丙申」の年に生まれた歴史人物・有名人を調べてみた

謹賀新年 新しい年がやってきたぞ。平成28年、2016年は干支の組み合わせでいうと「丙申(ひのえさる、へいしん)」。「丙」も「申」も生命力が盛んで、どんどん成長してゆくという意味があるらしい。ぜひ、そんな1年になってほしいものじゃな。ということで、せっかくなので、「丙申」の年に生まれた歴史人物、有名人を調べてみた。

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まずは有名どころで豊臣秀吉。天文5年(1536)1月1日生まれとされている。猿と呼ばれた秀吉が申年というのもできすぎだな、と思ったんじゃが、これは「太閤記」などの創作によるもので、信頼できる資料では天文6年2月6日となっているそうじゃ。でも、まあ、今回は天文5年の丙申の生まれとしておこう。

なお、1536年といえば今川義元家督をついだ年じゃ。これから永禄、元亀、天正の戦国絵巻がはじまるわけじゃが、「丙申」の年に生まれた人物としては、秀吉の他に剣豪将軍・足利義輝南光坊天海がおるぞ。

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幕末の人物としては、山岡鉄舟がいる。天保7年(1836)の生まれじゃ。その器量は、西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた、あの人物じゃな。

1836年といえば、将軍職は徳川家斉から徳川家慶へとかわり、水野忠邦天保の改革がはじまろうとする時期じゃな。幕藩体制も揺らぎ始め、海防への不安が高まりつつあった世相の中、この年には同じ幕臣榎本武揚が生まれておる。

ちなみに西暦でいえば坂本龍馬も1836年生まれなので申年のように思うが、当時は旧暦、天保6年なので未年というべきじゃろうな。

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1896年(明治29)は三陸津波信濃川の堤防決壊、陸羽地震など自然災害に悩まされた年じゃ。日清戦争で勝利した日本が大陸進出の足がかりをつかむも、ロシアと対峙し始めたのもこの頃じゃな。

この年の8月27日には詩人・童話作家宮沢賢治が生まれておる。「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく決して怒らず いつも静かに笑っている…」そういう人にわしもなりたいのう。

なお、同年には実業家の諸井貫一、教育家・哲学者の森信三、あのメザシの実業家・土光敏夫、そして第56・57代内閣総理大臣岸信介が生まれている。 

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前回の「丙申」にあたるのが1956年(昭和31)。日ソ共同宣言が成立し、日本が国際連合に加盟した年じゃな。石原慎太郎の『太陽の季節』が映画化され、石原裕次郎が俳優デビューしたのもこの年で、横浜市名古屋市京都市大阪市、神戸市が初の政令指定都市に指定されておる。日本は朝鮮戦争特需で立ち直り、高度経済成長がはじまった、今となっては夢のような時代のはじまりじゃったな。

この年に生まれたのは、桑田佳祐長渕剛佐野元春竹中直人島田紳助野口五郎新沼謙治小堺一機田中康夫、永島敏行、周防正行笑福亭鶴瓶原由子東てる美岡江久美子ガダルカナル・タカなどなど多士済々。でも、この人たちはみんな60歳、還暦なんじゃな。

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ずっと遡って1296年(永仁4)は鎌倉時代後期、わが父、執権・北条貞時公による得宗専制政治が行われていた時代じゃ。この年、鎌倉幕府鎮西探題を設置し、西国支配と国防の強化をすすめている。翌年には蒙古襲来による軍費がかさんで苦しむ御家人を救済するために永仁の徳政令(関東御徳政)を発布。じゃが、御家人の暮らしむきはよくならず、幕府への不満がくすぶりはじめていた時期じゃな。

そんな1296年の「丙申」の年に生まれたのが佐々木道誉。判官めは、初めはわしの御相伴衆として仕えて、たいそう目をかけてやったのに、北条が落ち目になると、あっさりと裏切って足利高氏についてしまった。そもそも諱の高氏の「高」はわしが授けたものじゃし、道誉という法名もわしがつけてやったんじゃぞ。あんなに楽しそうにわしといっしょに酒を飲み、田楽を楽しんでおったのに、このバサラ者め、食えぬ男よ。

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さらに遡って1176年(安元2年)は平安時代末期。「平家にあらねば人にあらず」といわれた平家全盛時代じゃな。じゃが、その翌年には鹿ケ谷の陰謀がおこっており、10年と経たずして平家は壇ノ浦に滅亡するんじゃから、世の中というのはまさに盛者必衰、生々流転であることをしみじみと感じるのう。

この1176年に生まれたのが朝比奈義秀。小坪の浜で源頼家公に命じられて海に潜り、サメを3匹捕まえてきたという逸話で有名なあの男じゃ。鎌倉の朝比奈切通しは義秀が一夜で切り開いたという伝説もあるし、和田合戦では北条に敗れて敗走したが、「神の如き壮力をあらわし、敵する者は死することを免れず」と賞賛された剛の者じゃよ。

その他の丙申生まれの人物としては、1776年に国学者平田篤胤、1716年に画家の伊藤若冲、1596年に後水尾天皇、1356年に守護大名大内義弘、1156年には奥州藤原氏の祖・藤原清衡などがおる。こうして並べてみると、丙申生まれの人物のキャラというか、性格というか、共通点がみえてきたのではないか? わしにはぜんぜん、見えて来んけどなwww

閑話休題 本年もこんな調子で気ままに書いていくけれど、なにとぞ、当ブログによろしくおつきあいくだいますよう、お願い申し上げます。