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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

卯年生まれの戦国武将など歴史人物や有名人を調べてみた

令和4年(2023)は卯年である。そこで卯年生まれの歴史人物、戦国武将、幕末英傑、などなどをまとめておくぞ。

源頼朝~日本初の武家政権をつくった鎌倉殿

絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵)

絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵)

なんといっても日本初の武家政権、鎌倉幕府の創始者である源頼朝公をあげねばなるまい。源頼朝公は、清和源氏、河内源氏嫡流。源義朝公の三男として、丁卯の年、久安3年(1147)に生まれた。母親は熱田神宮大宮司・藤原季範の娘・由良御前で、幼名は鬼武者、鬼武丸じゃ。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では大泉洋さんが演じて脚光を浴び、今年は空前の鎌倉フィーバーになった。それゆえ、源頼朝公の事績について、いまさらわしがどうこう説明する必要はないじゃろうし、畏れ多いから、ここは割愛する。

源義経~九郎判官、悲劇のヒーロー

源義経

源義経

驚くべきは、頼朝公の弟の九郎義経殿も卯年生まれということじゃ。頼朝公とはちょうどひとまわり、平治元年(1159)、巳卯の生まれじゃよ。源義朝殿と常盤御前との間に生まれ、幼名は牛若丸、九男だったので九郎と呼ばれた。

義経殿といえば判官びいきという言葉もあるように、日本史上の悲劇のヒーローとして人気が高いが、大河ドラマでは菅田将暉さんの演技がヤバすぎて、これまでのイメージはかなり変わったのではないじゃろうか。中村獅童さん演じる梶原景時との戦場での対立シーンなども見ごたえあったし、ほんとうの九郎殿もあんな感じだったような気がしておるぞ。

北条泰時~御成敗式目を定めた名執権

北条泰時

北条泰時

「鎌倉殿の13人」の主要キャストのひとりであった3代執権・北条泰時公も、寿永2年(1183年)、卯年(癸卯)の生まれじゃ。北条義時公の長男として生まれ、幼名は金剛。生母の阿波局は御所の女房と出自は不明。おそらくは側室だったとされ、泰時公は庶長子である。大河ドラマでは泰時公を義時公と八重さんの子という設定としていたたが、そうなるとわしもガッキーの血筋ということになるわけじゃな。

今回の大河では坂口健太郎さんがとぼけた好青年ぶりをみせてくれた。そもそも鎌倉北条氏は陰湿なイメージがつきまとう。そんな中でも泰時公は御成敗式目を制定し善政を敷いたを名君との評価が高い。ドラマにもあったように、ブラックな部分はすべて義時公が背負っていってくれたということじゃな。

伊達政宗~奥州の独眼竜は料理オタク?

伊達政宗

伊達政宗(仙台市博物館所蔵品)

戦国時代に目を移すと、奥州の独眼竜・伊達政宗が永禄10年(1567)、丁卯の卯年生まれじゃよ。伊達氏第16代当主・伊達輝宗と、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。

しばしば「生まれてくるのが遅かった」東北を代表する戦国武将じゃが、世も治まり、太平の世になると文化人として活躍する。岩出山名物の凍り豆腐とずんだは政宗が研究して開発したもで、ほかにも筑紫国から職人を呼び寄せて仙台味噌をつくっるなど、料理研究に余念がなかったらしいぞ。

真田信繁~日本一の兵(つわもの)

真田信繁

真田信繁(上田市立博物館所蔵)

伊達政宗の同期には真田信繁がおる(元亀元年、1570年生まれという説あり)。真田昌幸と正室・山手殿の間に生まれ、源二郎を称した。

大坂の陣での奮戦ぶりは「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評され、後世、真田十勇士とともに宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄として、これまた日本人に愛される武将のひとりといえよう。大河ドラマ「真田丸」では堺雅人さんが演じて負ったが、赤備えで徳川に立ち向かう様は、じつにかっこうよかったぞ。

夏目漱石と正岡子規~近代日本文学史に名を刻んだ二人

夏目漱石/正岡子規

夏目漱石/正岡子規

明治の文豪・夏目漱石と俳人・正岡子規も慶応3年(1867)、丁卯生まれの卯年の同級生じゃ。ふたりの出会いは東大予備門。二人が仲良くなったのは落語がきっかけだったそうじゃ。

漱石が子規の故郷である愛媛県松山市の中学に赴任したときには、子規を自分の下宿先に招き入れ、しばらく共同生活をしたという仲の良さ。その友情と交流は生涯続き、近代日本の文学史にその名を刻むこととなる。

近衛文麿~第34代内閣総理大臣

近衛文麿

近衛文麿

歴代宰相に目を移せば、第34代(38・39代)内閣総理大臣・近衛文麿がおるぞ。

明治24年(1891)、辛卯の卯年生まれじゃ。五摂家の近衞家の第30代当主で3度にわたり内閣総理大臣に任命されている。血筋の良さもあり国民の期待を一身に背負ったが、結局は日本を太平洋戦争に導いてしまい、東京裁判前に自殺してしまう。

近衛については、優柔不断で軍部の暴走を抑えきれず国政を投げ出したなど、辛口の評価が多い。じゃが、近衛自身は日米開戦には一貫して反対の立場であえい、狂いだした国の歯車は、なかなかもとに戻らないということじゃろう。

なお、卯年生まれの総理としては五・一五事件で軍部によって暗殺された犬養毅(安政2、1855、乙卯)もおるぞ。

豊田佐吉~トヨタグループ創始者

豊田佐吉

豊田佐吉

実業界からはトヨタグループの創始者・豊田佐吉をあげておこう。慶応3年(1867)、丁卯の卯年生まれじゃ。遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)に父伊吉、母ゑいの長男として生まれた。父伊吉は、農業の傍ら大工として働き、腕のいい職人だったらしい。

日本で最初の木製動力織機を発明するなど、生涯を通じて数多くの発明をし、豊田紡織(現トヨタ紡織)、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)を創業。やがてこれが現在のトヨタグループへと発展していく。日本の機械産業の発展・近代化に大きく貢献した人物といってよいじゃろう。

金栗四三~日本マラソンの父

金栗四三

金栗四三

日本初のオリンピアン・金栗四三も明治24年(1891)、辛卯の卯年生まれじゃ。金栗四三は熊本県玉名郡春富村(現・和水町)の名家に8人兄弟の7番目として生まれた。

ストックホルムオリンピックのマラソン競走に日本代表選手として参加し、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催に尽力するなど、日本マラソン界の発展に大きく貢献したことから「日本マラソンの父」と称される。

足袋で世界記録を出したり、オリンピック競技に日射病で倒れて行方不明になったなど、大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」では中村勘九郎さんが好演したのは記憶に新しいところじゃな。

卯年生まれの芸能人、スポーツ選手、著名人では…

うさぎ

(写真AC)

さいごに、最近の著名人を数人ずつ挙げておこう。

  • 1951年 竹中平蔵、中村雅俊、柴田恭兵、山下真司、山本リンダ、笑福亭鶴瓶、
  • 1963年 皇后雅子、松本人志、浜田雅功、松重豊、唐沢寿明、藤谷美和子、今井美樹、立川志らく、工藤公康
  • 1975年 前澤友作、米倉涼子、神田うの、山田花子、伊藤英明、谷亮子、川口能活、上原浩治、高橋由伸
  • 1987年 落合陽一、長澤まさみ、渡辺直美、LiSA、市原隼人、藤ヶ谷太輔、加藤シゲアキ、安藤美姫、リオネル・メッシ、ノバル・ジョコビッチ
  • 1999年 橋本環奈、梅澤美波、山下美月、永野芽郁、永瀬廉、紀平梨花、町野修斗

ということで、卯年生まれの歴史人物、有名人はいかがであったじゃろうか。これを毎年やるたびに、なんとなく共通するものがあるような、ないような…

閑話休題、2023年は脱兎のごとくまいろうではないか!