北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

孝明天皇と崇徳天皇と幕末維新

さて、ここのところ怨霊の話ばかり書いているせいか、なんとなく体調がすぐれないので、今日で一区切りしたいと思う。で、今日は孝明天皇についてじゃよ。 孝明天皇

後醍醐天皇の怨霊~玉骨はたとえ南山の苔に埋もるとも

さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。 後醍醐天皇

後鳥羽上皇は怨霊になったのか?…人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず

きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが…… 後鳥羽上皇

怨霊となった崇徳院を西行法師がお諌めした件…よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん

崇徳院について、もうちょっと書いておきたいことがあったので、今日は昨日の続きを。というのも、わし、じつは5年前に四国遍路をした際に、香川県坂出市にある崇徳院の白峰御陵に立ち寄っておるんじゃよ。 崇徳院御陵

崇徳天皇(上皇)は、なぜ怨霊になってしまわれたのか

菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれており、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建っている。さながらそ…

六道の辻(六道珍皇寺)と閻魔大王の側近・小野篁…ねこのここねこ、ししのここじし

京都・六波羅ぶらぶら備忘録。本日は「六道さん」じゃ。六道珍皇寺があるこのあたりは、かつての平安京の葬送地であった鳥辺野の入口にあたる。そこで京都では、この地を「六道の辻」と呼び、現世と他界の境、冥界への入口とされているんだそうじゃ。

此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府

先週、所用で京都にいってきたのじゃが、ついでなので六波羅に寄ってきた。

三浦胤義はなぜ、承久の乱で後鳥羽上皇の味方をしたのか?

かつて承久の乱のことを備忘録代わりにつらつら書いたが、鎌倉武士なのに後鳥羽院に味方した三浦胤義とその妻のことがどうしても気になったので、少し書いておく。 瀬田の唐橋

十三人の合議制〜「鎌倉殿の13人」の13人とは誰のことか?

すでに2022年のNHK大河ドラマが三谷幸喜さんによる「鎌倉殿の13人」と発表された。久しぶりの鎌倉時代、しかも主役は得宗の祖・北条義時公。わしとしてもうれしい限りじゃが、「ところで13人ってだれ?」という人もいると思うので、今日はそのお話じゃよ。

足利貞氏~浄妙寺へ高氏のパパの墓参に行ってきた件

鎌倉五山の第五位・浄妙寺。文治4年(1188年)、足利義兼の創建と伝えられている。かつては広大な寺地を有しており、現在も付近一帯を「浄明寺」という。今回は、浄妙寺を中興した足利貞氏についてじゃよ。 浄明寺(鎌倉市)

足利尊氏はなぜ、後醍醐天皇に反逆したのか

鎌倉幕府を裏切った足利高氏は、つづいて後醍醐天皇、建武政権に反逆する。その理由はなんだったのか。以前読んだ呉座勇一編『南朝研究の最前線』 にあった細川重男さんの論考を読んだので、わしの考えも備忘録的に書いてみたい。

後醍醐天皇の建武新政が失敗した理由~朕が新儀は未来の先例たるべし?

このブログは太守のブログゆえ、鎌倉幕府滅亡後の話はあまり興味はないのだが、とりあえず建武の新政の話だけはしておこう。 後醍醐天皇