源頼朝公の兄弟と言えば、九郎義経殿や悪源太義平殿が有名じゃが、もちろんご兄弟がおられたわけで、そのお一人が源朝長殿じゃ。今日は朝長についてじゃよ。 朝長(『能楽図絵』Wikipedia)
源頼朝公の兄弟と言えば、鎌倉悪源太義平を忘れるわけにはいかん。悪源太、その名の通りの剛勇な河内源氏のもののふじゃ。 悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)Wikipediaより
さて、今回は平治の乱についての備忘録じゃよ。源氏が没落し、平家が興隆するきっかけとなった事件じゃが、そのキーマンである信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らが何を考え、どう行動したのかをまとめておくことにする。 『平治物語絵巻』三条殿焼討
京都の高松神明神社に行ったついでに、今日は保元の乱についての備忘録。皇位継承や摂関家の跡目争いに武士がからんできておきたこの事件。「王家の犬」と蔑まれていた武家が、その実力を見せつけた画期となった事件じゃよ。 保元・平治の乱合戦図屏風絵
さて、ここのところ怨霊の話ばかり書いているせいか、なんとなく体調がすぐれないので、今日で一区切りしたいと思う。で、今日は孝明天皇についてじゃよ。 孝明天皇
さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。 後醍醐天皇
きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが…… 後鳥羽上皇
崇徳院について、もうちょっと書いておきたいことがあったので、今日は昨日の続きを。というのも、わし、じつは5年前に四国遍路をした際に、香川県坂出市にある崇徳院の白峰御陵に立ち寄っておるんじゃよ。 崇徳院御陵
菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれており、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建っている。さながらそ…
京都・六波羅ぶらぶら備忘録。本日は「六道さん」じゃ。六道珍皇寺があるこのあたりは、かつての平安京の葬送地であった鳥辺野の入口にあたる。そこで京都では、この地を「六道の辻」と呼び、現世と他界の境、冥界への入口とされているんだそうじゃ。
先週、所用で京都にいってきたのじゃが、ついでなので六波羅に寄ってきた。
かつて承久の乱のことを備忘録代わりにつらつら書いたが、鎌倉武士なのに後鳥羽院に味方した三浦胤義とその妻のことがどうしても気になったので、少し書いておく。 瀬田の唐橋