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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

鎌倉陥落、北条高時の遺児はどうなったのか?~五大院宗繁に裏切られた邦時と信濃に逃れた時行

わし北条高時の遺児・邦時こと万寿丸と、時行こと亀寿丸について。鎌倉幕府が滅亡したのは元弘3/正慶2年(1333)5月22日のこと。その直前、新田義貞が鎌倉に攻め入る前に、わしは二人の息子を逃そうとしたんじゃ。

中先代の乱〜北条時行と諏訪頼重は、なぜ鎌倉を目指したのか

中先代の乱のきっかけ、戦いの経緯、結果までを解説。「逃げ上手の若君」で人気の北条時行、諏訪頼重について紹介するぞ。

小笠原貞宗~信濃守護、弓の名手として知られる小笠原礼法中興の祖

信濃守護の小笠原貞宗。松井優征さんの「逃げ上手の若君 」に北条時行の敵方として登場し、注目を集めているようなので、少し紹介しておこう。ちなみに、「逃げ上手の若君」では、こんな感じで登場するぞ。 小笠原貞宗(松井優征「逃げ上手の若君」第1巻 集…

摂家将軍・九条(藤原)頼経について~哀しむべし、哀しむべし

九条(藤原)頼経について書いておきたい。源実朝公のあと、頼朝公の遠縁として九条家から迎えられた「摂家将軍」のことじゃよ。 九条(藤原)頼経

源希義と希望〜頼朝公の同母弟と土佐七雄・吉良氏のこと

今回は、土佐冠者こと源希義殿について。源義朝殿の五男で頼朝公の同母弟とされているが、これまたあまり知られていないようなので、紹介させてもらおう。 西養寺跡無縫塔 伝源希義墓塔(Wikipedia)

源朝長~知られざる頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、九郎義経殿や悪源太義平殿が有名じゃが、もちろんご兄弟がおられたわけで、そのお一人が源朝長殿じゃ。今日は朝長についてじゃよ。 朝長(『能楽図絵』Wikipedia)

悪源太・源義平~剛勇な頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、鎌倉悪源太義平を忘れるわけにはいかん。悪源太、その名の通りの剛勇な河内源氏のもののふじゃ。 悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)Wikipediaより

平治の乱~信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らは何を考え、どう行動したのか

さて、今回は平治の乱についての備忘録じゃよ。源氏が没落し、平家が興隆するきっかけとなった事件じゃが、そのキーマンである信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らが何を考え、どう行動したのかをまとめておくことにする。 『平治物語絵巻』三条殿焼討

保元の乱はなぜ起こったのか~天皇家、摂関家、源氏も平氏も分裂して大騒動

京都の高松神明神社に行ったついでに、今日は保元の乱についての備忘録。皇位継承や摂関家の跡目争いに武士がからんできておきたこの事件。「王家の犬」と蔑まれていた武家が、その実力を見せつけた画期となった事件じゃよ。 保元・平治の乱合戦図屏風絵

孝明天皇と崇徳天皇と幕末維新

さて、ここのところ怨霊の話ばかり書いているせいか、なんとなく体調がすぐれないので、今日で一区切りしたいと思う。で、今日は孝明天皇についてじゃよ。 孝明天皇

後醍醐天皇の怨霊~玉骨はたとえ南山の苔に埋もるとも

さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。 後醍醐天皇

後鳥羽上皇は怨霊になったのか?…人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず

きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが…… 後鳥羽上皇