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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

日本の建国神話をわかりやすく解説〜天地開闢から国生み、神生みまで

知っているようで知らない日本の「国生み」伝説。神話の話ではあるけれど、日本人なら教養として知っておきたいところじゃ。そこで、よい機会なのでちょっと整理、紹介してみるぞ。

小林永濯『天之瓊矛(あめのぬぼこ)を以(も)て滄海(そうかい)を探(さぐ)るの図(ず)』

小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』(Wikiより)

記紀と日本神話

「国生み」(国産み、くにうみ)とは、日本神話にある国土創世譚のこと。ご存知のとおり、イザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本の島々を創成する物語じゃな。その内容は『日本書紀』と『古事記』で細部は微妙に異なる。これは、両書が編纂された目的が違うというところに理由があるようじゃ。

『古事記』は飛鳥時代、天武天皇が側近の稗田阿礼に命じて、皇室や豪族の系譜や伝承を記録した「帝紀」「旧辞」を誦じさせ、それを太安万侶に記録、編纂させた史書である。その編纂目的は、天皇家の歴史を記し、その権威と統治の正当性を世に示すことにあった。

いっぽう、『日本書紀』の編纂目的は日本という国の成り立ちを内外に示すためであったとされておる。天武天皇の皇子・舎人親王をはじめ、多くの人たちが編纂に携わり、40年もの歳月をかけて完成した。

目的、編纂者、ソースが異なれば記述は当然、変わってくるであろう。そもそも神話の時代の記述をどっちが正しい、正しくないを議論することもあまり意味がない。そこで今回のブログは『古事記』をベースに進めて行くことにする。

天地開闢〜この世のはじまり

天地開闢のイメージ

国生みの前にに「天地開闢」、つまり天と地がはじめてできたこの世の始まりについてじゃ。『古事記』はすでに天地が分かれた状態からスタートしておるが、『日本書紀』では、この世の初は、天も地もなく互いに混ざり合いった混沌、カヲスの状態であったと記している。

古に天地未だ剖れず、陰陽を分かれざりしとき、渾沌たること鶏子の如くして、溟涬にして牙しを含めり。其れ清陽なるものは、薄靡(たなび)きて天と為り、重く濁れるものは、淹滞ゐて地と為るに及びて、精しく妙へなるが合へるは摶(むら)がり易やすく、重く濁れるが凝りたるは竭(かた)まり難し。故かれ、天先づ成りて地後に定さだまる。然して後に、神聖其の中に焉れます。(『日本書紀』) 

カヲスの中から、清浄なものが上昇して天となり、重く濁ったものはそのまま大地となる。こうして天地が生まれたというわけじゃ。

物理学では、宇宙はビッグバンでできたことになっている。時間も空間もビッグバンでできたので、それ以前のことは「考えない」ことにしておるそうじゃ。「天地開闢」もそれと同じ。それより前を考えることなく、そういうものだと思っておけばよい。所詮、わしら凡人の思い至るところではあるまい。

神様の誕生〜別天津神と神代七代

『古記事』によると天地開闢の後、とつぜんお出ましになったのが「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」じゃ。続いて「 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」「 神産巣日神(かみむすひのかみ)」が登場してくる。そして次に「宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ 」「天之常立神(あめのとこたちのかみ)」という2柱の神様が生まれてくる。ちなみに神様は『鬼滅の刃』みたいじゃが、1柱、2柱と「柱」で数えるんじゃよ。

さて、この5柱の神様には男女の性別はない。なので子どもを生まず身を隠してしまい、その後に特に何をしたという事績も伝わっていない。じゃが、この世に最初に出てきた根元的な神様なので、後の神様とは区分して特別に「別天津神(ことあまつかみ)」と崇められておるのじゃよ。

その後さらに、「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもののかみ)」という2柱の神様が誕生する。これまた性別はなく、以降は登場してこないのじゃが、

その後、高天原では一気に5組10柱の神様が生まれるベビーブームを迎える。しかも、ここで生まれた神様には男女の性別が備わって、対になって登場して来たのじゃ。

この「別天津神」の次に現れた12柱7代の神を「神世七代」と呼ぶ。最初の二代は1柱で1代、その後は2柱で一代と数えて7代というわけじゃ。失礼ながらすべての神様の御名はここでは省略させていただくが、最後に現れた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)は、日本国の、日本の神様たちのルーツとして要チェックじゃよ。

「美斗の麻具波比」〜伊耶那岐と伊耶那美

伊耶那岐と伊耶那美

伊耶那岐と伊耶那美(WIKI)

『古事記』によれば、あるときイザナギとイザナミは他の神様たちから、まだ油脂のように漂っている大地をしっかり完成させ、国をつくるように命じられた。そして、国づくりの道具として「天沼矛」(あめのぬぼこ)を与えられ、二神は天と地をつなぐ天浮橋に降りていった。

二神は渾沌とした地上を天沼矛で掻き混ぜる。すると、矛から海水の雫が滴り落ち、それが固まって淤能碁呂島(おのごろじま)ができあがった。そこで二神はさっそく淤能碁呂島に降り立ち、そこに「天の御柱」と「八尋殿」を建てたのじゃ。

このときイザナギとイザナミは、お互いの身体の作りが違うことに気づく。そして、お互いの異なる凸と凹を合体させて国をつくろうということになった。じつに素朴というか、ここにエッチいな要素というのは皆無なようじゃな。

イザナギは左から、イザナミは右から天の御柱を周り、出逢ったところでまぐわい(「美斗の麻具波比」、要するに性交じゃ)をすることにした。

イザナミ「ほんとうにりつぱな青年ですね」(「あなにやし、えをとこを」)
イザナギ「ほんとうに美しいお孃さんですね」(「あなにやし、え娘子を」)

その結果、二神の間には「水蛭子」(ひるこ)が生まれた。じゃが、どうもこの子は不具の子であったようで、二神は水蛭子を葦の船に乗せて流してしまう(酷い!)。そして次には淡島(あわしま)が生まれたが、これも御子にはなれなかった。やはり不具の子で流してしまったのじゃろう。

島生みがうまくいかず、悩んだ二神は天上に戻って他の神様に相談した。じゃが、他の神様も原因がよくわからなかったので占いをしてみたところ、どやら女性が先に告白したのがよくなかったという教えが出た。

そこで、二神は再びおのごろ島に戻り、今度は男性であるイザナギからモーションをかけ、その後にまぐわってみた。するとこれがどうやらこれが正しい手順だったようで、ようやく日本列島を構成する島々が生まれていくのじゃ。

やはり、古いと言われようが「告白は男性からするもの」というのは、神話の時代からも日本の国柄なのかもしれぬ。

そしてもう一つのポイントは「左右」じゃ。おのころ島の天の御柱を回るとき、男性のイザナギは左回り、女性のイザナミは右回りをとった。左大臣と右大臣からもわかるように、古来、日本は左を格上とする国柄じゃが、この伝承からはそのルーツを感じることができる。

舞台でも向かって役者からみて左側を上手、右側を下手と呼んでおるし、雛人形も京雛は男雛が左(向かって右)、女雛が右に座っておる。現在の雛人形は関東雛が主流となり、その逆の並びが一般的になって来ているが、これは大正天皇がご成婚の時に西洋の風習に習って宮中のルールを改めたことから、以後、庶民にもそれが広がったそうじゃ。現在の結婚式も西洋風で新郎は新婦の左側にいるが、本来は左が格上なんじゃよ。

まあ、最近は女性のパワーが男性より優っているのは、その影響だったりするかもしれぬな。

淡路島の絵島

淡路島の絵島。「おのごろ島」伝承地の一つ

二神がまぐわった「おのごろ島」は実在するのか、どこなのかということが議論されておる。神話に出てくる島をめぐって、どこが本物なのかを議論するのもどうかと思うが、さりとて編纂者がどこかの島をモデルにしていてもおかしくはない。

ちなみに、『古事記』では仁徳天皇が「おのごろ島」をみて詠んだ歌が残されている。

「ここに天皇、その黒日賣を恋ひたまひて、大后を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲ふ。」とのりたまひて、幸行でましし時、淡道島に坐して、遙に望けて歌ひたまひて曰く、 おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば  淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の 島も見ゆ 放つ島見ゆ とうたひたまひき」

この記述からすれば、「おのごろ島」は淡路島の近くと考えてよいじゃおる。少なくとも、同時代人はそう見ていたことは間違いない。

現代、その候補地としては、淡路島の南海上にある沼島、淡路島の絵島、淡路島内の自凝島神社などがあり、他に紀淡海峡友ヶ島にある沖ノ島も名乗りをあげておるぞ。

国生み〜日本列島ができた順番

沼島の上立神岩

おのごろ島伝承地の一つ、沼島の上立神岩

さて、夫婦の契りをかわしたイザナギとイザナミは、次々と日本の島々を産んでいく。

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美いざなみの命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合ひまして、子淡道穗狹別島を生みたまひき(『古事記』)

『古事記』によれば、日本列島の島々が生まれた順番は次のとおり。

  1. 淡路島=淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)  
  2. 四国=伊予之二名島(いよのふたなのしま)
  3. 隠岐=隠伎之三子島(おきのみつごのしま)
  4. 九州=筑紫島
  5. 壱岐=伊伎島
  6. 対馬=津島
  7. 佐渡島
  8. 本州=大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)

以上の八島が最初につくられたゆえに、日本は「大八島国(おおやしまのくに)」と呼ばれるのじゃな。

さらに二神はその後、6つの島を生む。

  1. 児島半島=吉備児島(むかしは島だったらしいぞ)
  2. 小豆島
  3. 屋代島(周防大島)=大島
  4. 姫島=女島
  5. 五島列島=知訶島(ちかのしま)
  6. 男女群島=両児島(ふたごのしま)

かくして日本の国土ができあがった。残念ながら北海道と沖縄は国生み神話には登場しない。『古事記』が成立した当時、北海道や沖縄は大和朝廷(天皇家)では存在すら認識してなかったし、本州でも影響力が及んでいたのはせいぜい白河あたりまでじゃろう。正確な地図も無かった当時として、これは致し方ないじゃろう。

神生みと黄泉比良坂での夫婦別れ

黄泉比良坂

黄泉比良坂で夫婦別れをするイザナギとイザナミ

大八島国や周囲の島々を産んだイザナギとイザナミは、その後、たくさんの神様を産んだ。このときに産まれた神様は、家を守る神様(家宅六神)や、風や木、火、野などの自然にまつわる神様である。イザナギとイザナミによる「神生み」ではたくさんの神様が生まれており、その御名をここで書くことは割愛させてもらい、先へ進もう。

イザナミは火の神様(火之迦具土神)を出産したときに火傷をしてしまい、それが元で死んでしまう。そのためイザナギは怒って火の神様を切り殺してしまったのじゃ。じゃが、どうしてもイザナギはイザナミのことが忘れられない。そこで、イザナギはイザナミと再び会うために「黄泉国」へ赴くことになる。

黄泉の国でイザナギはイザナミを連れ帰ろうとする。この時、イザナギは、「私の姿を見てはならない」というイザナミの禁を破り、恐ろしい姿に変わり果てたイザナミを見てしまう。恐ろしくなったイザナギは逃げ出すが、イザナミは禁を破ったイザナギを許さず追っ手を仕向けてくる。

イザナギは黄泉の国と地上の境である「黄泉比良坂」(よもつひらさか)で逃げてくると、そこに「千引の石」という巨石を置いて道を塞ぎ、追っ手を撃退した。この岩越しにイザナミと夫婦別れをするのじゃ。

ここに千引石をその黄泉比良坂に引き塞さへて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、事戸を度わたす時に、伊耶那美命のりたまはく、「愛しき我が汝兄命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹命、汝(みまし)然したまはば、吾は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人死に、一日に必ず千五百人なも生まるる。(『古事記』) 

「愛しいあなたがそんなことをするなら、私は地上の人間を一日に千人殺します」
「愛しいあなたがそんなことをするなら、私は地上に一日に千五百人生まれるようにします」

二神は千引の石を挟んでそう言い合い、永遠の別れとなったんじゃが、この時のこの言い合いにより、人間は必ず死ぬが子々孫々命は紡がれていくという、この国の生々発展の世の原則が決まったのじゃ。

現在、わが国は少子高齢化が進み、これとは逆の状況になってしまっており、イザナミが優勢なのかもしれん。じゃが、岸田内閣の異次元の少子化対策が発動が、元の生々発展へ戻るきっかけになるのではないかと、わしは期待しておるぞ(棒)

ちなみに、「黄泉比良坂」じゃが、島根県松江市東出雲町がその伝承地として名乗りをあげており、そこには千引の岩とされる巨石も置いてあるぞ。

「三貴神」の誕生〜天照大御神、月読命、須佐之男命

三貴神(天照大御神、月読命、須佐之男命)

天照大御神、月読命、須佐之男命

黄泉の国から帰ってきたイザナギは筑紫日向橘小門阿波岐原まで戻ってきた。そして、身に着けていた杖や帯、衣などを投げ捨て、水をかぶると、そこからまた次々と神々が生まれた。

そしてイザナギが最後に左目をすすぐと「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)が、右目をすすぐと「月読命」(つきよみのみこと)が、鼻をすすぐと須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれ、わが国の神様の中でも超重要な3柱が登場してくる。

この時伊耶那岐命大く歓ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終てに、三柱の貴子を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板擧(みくらたな)神といふ。次に月讀命に詔りたまはく、「汝が命は夜よの食をす国を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。

イザナギは天照大御神に首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任し、月読命には夜の食国を、建速須佐之男命には海原を委任し、この「三貴子」にこの国を守ように命じた。この天照大御神女神は太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ女神で、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に天孫降臨し、その系譜が神武天皇、令和日本の皇統へと続いていくというわけじゃ。

ちなみに、この「筑紫日向橘小門阿波岐原」(『日本書紀』では「筑紫日向橘小戸檍原」についても、いくつか候補地があるようじゃ。まずは、宮崎県宮崎市阿波岐原町にある江田神社。こちらは町名もそのままじゃし、伝承によりみそぎ御殿も建てられておる。他にも福岡市の小戸大神宮が伝承地として知られておるぞ。

伊邪那岐の禊と「天津祝詞」

ということで、サクッと書くつもりがとんでもなく長くなってしまったが、最後に、イザナギが黄泉比良坂で禊をし、三貴神が生まれた神話をもとにしたに「天津祝詞」(あまつのりと)を紹介しよう。

神社で聞いたことがある人もいるじゃろうが、この記事を読んでもらった後に読んでお唱えすると、少し感じ方が変わるかもしれぬぞ。

高天原に神留まり坐す
(たかあまはらに かむづまります)

神魯岐神魯美の命以て
(かむろぎ かむろみの みこともちて)

皇御祖神伊邪那岐命
(すめみおやかむ いざなぎのおおかみ)

筑紫日向橘小戸阿波岐原に
(つくしの ひむがの たちばなの をどの あわぎはらに)

御禊祓ひ給ふ時に生坐る祓戸の大神等
(みそぎはらえたまいしときに あれませる はらいどのおおかみたち)

諸の枉事罪穢を祓賜へ清め賜へと申す事の由を
(もろもろのまがごと つみけがれをはらいたまえ きよめたまえと もうすことのよしを)

天津神国津神八百万の神等共に
(あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともに)

天の斑駒の耳振立て聞食せと
(あまのふちこまのみみふりたてきこしめせと)

恐み恐み白す
(かしこみかしこみもうす)。

祝詞をお唱えすると、身の穢れや罪が取り払われ、神様にお近づきになるので幸福がやってくるという。国生み、神生みの神話に思いを馳せながらかしこみかしこみお唱えすると、ずっしり腹の中に落ちてくるではないか。

建国の神話は戦後、GHQにより皇国史観を排除するために学校では教えなくなったが、それでよいのじゃろうか。神社に参拝してもなんとなーく手を合わせてお願いごとをしたているだけは、そのありがたみを感じられないように思うぞ。

日本史の授業も考古学や古代史もけっこうじゃが、建国の神話についてきっちり教えるべきではないか。まあ、まぐわいをどう教えるかは難しいところではあるがな。