平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)
わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャ…
夏の長岡探訪備忘録のラスト。河井継之助の名言をいくつか集めて、わしもこれからの日々の仕事や人生の指針にしたいと思う。 河井継之助
今回も夏の長岡探訪備忘録の続きじゃ。北越戊辰戦争の激戦地、八丁沖古戦場パークに行ってきたので、その戦いと河井継之助の「口上書」(檄文)についてあれこれ書いてみたい。 八丁沖古戦場の碑(新潟県長岡市)
長岡探訪備忘録の続き。北越戊辰戦争の激戦地、摂田屋、榎峠古戦場、朝日山古戦場、森立峠など、ぶらぶらしてきたので、その旅日記じゃよ。 榎峠古戦場パーク
「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。
今日は、後醍醐天皇の護持僧・文観房弘真のことじゃ。房号は文観、法諱は律僧としては殊音、密教僧としては弘真。後醍醐天皇の中宮・禧子の安産祈願にかこつけて関東調伏を行ったということで、鬼界ケ島へ遠流になった妖僧じゃ。文観は後世、あまり良いイメ…
今回、せっかく小千谷に行ったので、東忠さんでランチをしてきたぞ。小千谷の東忠さんは江戸時代からの老舗。河井継之助は慈眼寺の小千谷談判のあと、ここで遅めの昼食をとったことでも知られる。当時の座敷も保存されていて、見学させてもらったぞ。 居食亭…
先日、久しぶりに所用で長岡に行ってきたが、映画「峠 最後のサムライ」も観たことじゃし、小千谷に立ち寄り、河井継之助と岩村精一郎の小千谷談判が行われた慈眼寺にも行ってきた。今回は、小千谷談判がなぜ決裂したのか、河井継之助の真意はどこにあったの…
鎌倉にある「北条高時腹切やぐら」。わしら北条一族終焉の地として知られておるスポットじゃ。じゃが、心霊スポットとして知られているらしく、夏になると肝試しにやってくる不逞の輩がいると聞く。 はっきりいっておくが、ここは心霊スポットではないぞ。「…
こちら、お馴染みの北条時宗公の肖像画。じゃが近年、実はこれ、時宗公ではなく阿蘇流北条氏の北条貞宗であるとの疑義が生じている。そこで今回は、阿蘇流北条氏とはどんな家か、北条(阿蘇)定宗とは誰かを解説してみたい。 満願寺所蔵の伝「北条時宗像」。…
松井優征先生の『逃げ上手の若君』のおかげで北条時行への注目が爆上がり。それによりわし高時の認知度もぐんと上がっておる。ほんとうに嬉しい限りじゃ。そこで、あらためて北条高時の女性関係、時行らの家族について紹介しておく。アニメを視聴する際の参…