鎌倉・室町
花は桜木、人は武士。 鎌倉の桜もほぼ終わり。散りゆく桜木を眺めては、もののふの夢や生き方の儚さを感じつつ、法華堂跡にある源頼朝公の墓所に手を合わせてきたので、そのときのことを。
源頼朝公が推奨した二所詣。先日、わしもいってきたぞ。
ワンコを連れて材木座あたりをぷらぷら歩いたんじゃが、まず訪れたのは弁谷(べんがやつ)。かつて、このあたりには、わし、北条高時が創建した崇寿寺があった。 現在は、すっかり宅地開発されており、その当時の面影は薄く、鎌倉青年会が建てた石碑がぽつん…
今日はちょうど材木座に行くついでがあったので、愛犬をつれて光明寺に行ってきた。光明寺は鎌倉幕府・第4代執権の北条経時公を開基として、然阿良忠上人が開山した浄土宗の寺院じゃ。 光明寺(鎌倉市材木座) 光明寺は鎌倉のメインの観光コースからははず…
所用で鎌倉は十二所に行ってきたのじゃが、このあたり、明王院の東側一帯には源実朝公が創建した大慈寺の大伽藍が建っておった。「吾妻鏡」によると、この大慈寺のそばの山麓に、北条時氏公が葬られたとある。といっても、多くの者が「北条時氏ってだれ?」…
湘南モノレールの湘南深沢駅の近く、旧JR東日本大船工場敷地脇に「泣塔」(なきとう)と呼ばれる宝篋印塔がある。ちょうどこのあたりは再開発地区になっているが、具他的にどうするのかは決まっていないようで、現在は多目的広場という名で放置されている だ…
新年2度目の更新は今年の干支、丙申生まれの佐々木道誉についてじゃ。婆娑羅大名の佐々木道誉、大河ドラマでは陣内孝則さんが好演しておったな。食えぬ男で、わが北条も煮え湯を飲まされたんじゃが、それでもわしはこやつのことはあまり憎めないんじゃよ。
常楽寺の裏山に清水冠者義高殿のお墓があるとのことで、そちらにも行ってきたぞ。義高殿といえば、源頼朝公と政子さまの長女・大姫さまとの悲恋が有名じゃな。
鎌倉は大船にある常楽寺に立ち寄り、北条泰時公のお墓に手を合わせてきた。ちなみに、常楽寺の裏山には、あの大姫さまとの悲恋で有名な、木曽義仲の嫡男・清水冠者義高殿のお墓もあるが、それは次回に書かせてもらうとして、本日は賢君・北条泰時公について。…
北条義時公からわし・高時までの北条氏嫡流は「得宗」とよばれているが、この「得宗」とはそもそもなんなのか。どっから出てきた言葉なのか。わしも今まで、そういうことは気にせず使ってきたんじゃが、今日はそのお話。
先日、北条時輔殿と二月騒動のことを書いているうちに、やはり北条時宗公のことを書かねばならぬと思うてのう。そう蒙古襲来の時のことじゃよ。 和泉元彌が演じた北条時宗(NHK大河ドラマ)
気まぐれにその時々に思いついた歴史ネタを書く当ブログじゃが、今日は北条時輔殿と二月騒動についてじゃよ。二月騒動と聞いても、教科書にはのってないし、ほとんどの人がピンとこないじゃろう。じゃが、鎌倉北条氏を語る上では、石橋山合戦、承久の乱と同…
所用で江ノ電の和田塚駅で降りたから、和田塚に立ち寄ることにした。ということで、今日は和田義盛についてじゃ。
かつて稲村ガ崎の奥には聖福寺というお寺があった。あの最明寺入道・北条時頼公が建立したお寺じゃ。北条時頼公といえば、歴代執権のなかでも善政をしいた名君として名高いが、ワシの中では、大河ドラマ「北条時宗」で、渡辺謙さん演じた時頼公のこの台詞が…
このシルバーウィークは連日の好天。そんな5連休に大河ドラマ「草燃える」をみて、じめじめと過ごすのも一興じゃったよ。で、昨日のマツケンさんの北条義時公につづいて、今日は藤岡弘さんが演じた三浦義村についてエントリー。そう、御家人からは「友を食…
暇にまかせてNHKオンデマンドで大河ドラマ三昧。昨今、大河ドラマは逆風が吹いていて、「花燃ゆ」なんぞ各方面からボロクソなわけじゃが、この数日で「草燃える」をみて、いわれても仕方がないかなと、あらためて感じた次第。 いやいや、松平健さんの北条義…
この記事は移転しました。
この夏、茅ケ崎の沖合にサメが出没したことから、湘南海岸一帯は遊泳禁止となってしまった。海の家など、商売上がったりで、さんざんな夏になってしまったようじゃな。さて、湘南とサメといえば……本朝無双の豪傑と言われた朝比奈三郎義秀じゃな。
先日の埼玉スタ遠征のついでに吉見町あたりをぶらぶら。吉見町は蒲殿こと源範頼さんに所縁の地。蒲殿は兄・頼朝公の代官として木曽義仲、平家追討の大将軍という大任をはたした人物。人気、知名度とも弟の九郎義経殿には及ばぬが、鎌倉武士の主力軍を率いて…
この記事は移転しました。
なにかと評判がよろしくない後醍醐天皇の建武の新政。あの忠臣の万里小路藤房卿にも愛想を尽かされ、武家の間では「北条のときのほうがよかった!」という声もちらほら。そこで、なんとも恐ろしい陰謀を企てたのが、西園寺公宗と、わが弟の北条時興(泰家)…
ここのところ九州、長門、北陸での北条一族の最期をエンントリーしてきたが、河内国金剛山の千早城を攻めていた軍勢をうっかりと忘れておった。阿蘇治時、長崎高貞(長崎高資の弟)、大仏家時、高直、貞宗の三兄弟、二階堂道蘊ら、お歴々が率いる精鋭たちの…
鎌倉北条氏滅亡の余話をもう少し。越前に散った淡河(おうご)右京亮時治についてじゃ。 淡河右京亮時治は北条時盛の子、北条時房の孫にあたる。承久の乱の後、北条時盛は越前国大野郡牛原荘の地頭職に補任されている。
しつこいようじゃが、今日も鎌倉北条氏滅亡の余話をエントリー。越中守護の名越時有(北条時有)について、じゃよ。。 名越時有は北条氏名越流・公貞の子。祖父の名越公時は弓馬や蹴鞠にも習熟し、鞠奉行をつとめている。北陸道は北条氏の勢力が強く、時有は…
先日の大河ドラマ「花燃ゆ」は、長州藩がいよいよ暴発して、蛤御門の変に至るお話じゃった。ドラマとしては見せ場のはずじゃが、視聴率はあいかわらず低迷しているようじゃな。 以前も書いたんじゃが、このドラマ、長州藩が勝手に騒いで勝手に暴発して、ほう…
先日、最後の鎮西探題・赤橋英時についてエントリーしたので、本日は、長門探題の金沢(北条)時直についてじゃ。
鎌倉で北条高時以下一族が自害して果てた3日後の正慶2年5月25日、九州博多の地では、幕府最後の鎮西探題・赤橋(北条)英時ら一族340人が自害した。
さて、鎌倉幕府最期の日についてもう少しだけ続きを。稲村ケ崎を突破した新田義貞軍は、一気に鎌倉市外へと乱入した。「太平記」には、そうした劣勢の中でも最後まで戦う北条武士を描いているが、もちろん、そんな立派な人ばかりだったはずはない。 醜態をさ…
今日5月9日はさいごの六波羅探題北方、北条仲時の命日。北条仲時は足利高氏らに攻められ、光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇を奉じて鎌倉へ落ちようとしたんじゃが、近江国番場峠で再び野伏に襲われ、蓮華寺本堂前で一族432人と共に自刃している。
足利市のイメージキャラクターに、「たかうじ君」なるゆるキャラがいるのを初めて知った。しかも、この度、公式テーマソングがCD化され、歌に合わせて踊る「たかうじ君体操」も完成したんだとか。 足利市「たかうじ君」テーマ曲のCD完成 体操に合わせてね