慶応4年(1868)1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発した。ということで、今年はじめての更新は、鳥羽伏見の戦いについて書こうと思う。 鳥羽伏見の戦い 鳥羽伏見の戦いとは 圧倒的に優勢だったはずの幕府軍 そもそも徳川慶喜は戦うつもりはなかった 慶喜は会津…
令和6年、2024年は干支の組み合わせでいうと「甲辰(きのえたつ)」。ということで、辰年生まれの歴史人物、有名人を調べてみたぞ。
今年の大河ドラマ「どうする家康」。「松本潤の演技が軽すぎる」とか「史実とかけ離れている」「若者ウケを狙いすぎ」「CGがしょぼい」だの散々いわれ、視聴率も伸び悩んだようじゃが、わしは1年間、楽しめたけどな。総集編もしっかりみたので、とりあえずわ…
三浦半島一帯を治めた三浦党・津久井氏。横須賀の東光寺には津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔がある。 東光寺(神奈川県横須賀市)
「逃げ上手の若君」がアニメ化され、わが息子の北条時行への注目がますます高まっておるようなので、時行についてあらためて書いてみたいと思う。鎌倉幕府が滅亡した折、諏訪盛高に守られて信州へと逃れた亀寿丸こと北条時行。その5年後、中先代の乱決起し…
北条得宗家による専制政治が始まるのは北条時頼公の時代である。宝治合戦で三浦が滅び、建長の政変で摂家将軍を廃して親王将軍を擁立したことで、将軍権力が弱まり執権北条氏、特に得宗家への権力集中が進んだのじゃ。今回は「建長の政変」についてまとめて…
今回は北政所(おね、高台院)について少々。ドラマや小説などでは、北政所と淀殿との間には確執があり、そこに石田三成ら文治派と加藤清正、福島正則ら武断派の対立がからんで豊臣家臣団が分裂。そこを徳川家康につけこまれて関ヶ原の合戦に至ったというよ…
先日、「天空の城」「日本のマチュピチュ」として名高い竹田城に行ってきた。縄張りが虎が臥せているように見えることから別名は「虎臥城」。わしも早朝登山で雲海を目指したんじゃが、霧と雲海が出過ぎて眼下に眺めるというより、その真っ只中に入ってしま…
「鎌倉殿の13人」で注目された、義時公の兄・北条宗時殿は、はたしてどんな人物だったのじゃろうか。源頼朝の旗揚げにキーマンとして尽力し、非業の死を遂げた宗時殿について、まとめておくぞ。
数ある日本の名刀の中でも特別な存在とされる「天下五剣」。「童子切安綱」「三日月宗近」「大典太光世」「数珠丸恒次」とともに、その一振に数えられるのが、わが北条家相伝の「鬼丸」(鬼丸国綱)じゃ。今回は、歴代天下人も畏怖したという妖刀「鬼丸」に…
今回は斯波家長について。松井優征さんの「逃げ上手の若君」にも登場してくる足利一門におけるエリート中のエリートについてじゃよ。 斯波孫二郎家長(松井優征「逃げ上手の若君」)
今回はかつて訪れた旅の備忘録も兼ねて相馬中村藩について。相馬中村藩は6万石、藩主は相馬氏で家格は柳間詰め外様大名、後に帝鑑間詰め譜代大名に列せられている。戊辰戦争では初め奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦うも追い詰められて降伏。その後は…
今回は奥州相馬氏についてじゃよ。南北朝時代には足利方として陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦し、戦国時代を生き残り幕末維新を迎えた相馬氏は、なんでもそのルーツを平将門としているらしいぞ。
平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)
わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャ…
夏の長岡探訪備忘録のラスト。河井継之助の名言をいくつか集めて、わしもこれからの日々の仕事や人生の指針にしたいと思う。 河井継之助
今回も夏の長岡探訪備忘録の続きじゃ。北越戊辰戦争の激戦地、八丁沖古戦場パークに行ってきたので、その戦いと河井継之助の「口上書」(檄文)についてあれこれ書いてみたい。 八丁沖古戦場の碑(新潟県長岡市)
長岡探訪備忘録の続き。北越戊辰戦争の激戦地、摂田屋、榎峠古戦場、朝日山古戦場、森立峠など、ぶらぶらしてきたので、その旅日記じゃよ。 榎峠古戦場パーク
「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。
今日は、後醍醐天皇の護持僧・文観房弘真のことじゃ。房号は文観、法諱は律僧としては殊音、密教僧としては弘真。後醍醐天皇の中宮・禧子の安産祈願にかこつけて関東調伏を行ったということで、鬼界ケ島へ遠流になった妖僧じゃ。文観は後世、あまり良いイメ…
今回、せっかく小千谷に行ったので、東忠さんでランチをしてきたぞ。小千谷の東忠さんは江戸時代からの老舗。河井継之助は慈眼寺の小千谷談判のあと、ここで遅めの昼食をとったことでも知られる。当時の座敷も保存されていて、見学させてもらったぞ。 居食亭…
先日、久しぶりに所用で長岡に行ってきたが、映画「峠 最後のサムライ」も観たことじゃし、小千谷に立ち寄り、河井継之助と岩村精一郎の小千谷談判が行われた慈眼寺にも行ってきた。今回は、小千谷談判がなぜ決裂したのか、河井継之助の真意はどこにあったの…
鎌倉にある「北条高時腹切やぐら」。わしら北条一族終焉の地として知られておるスポットじゃ。じゃが、心霊スポットとして知られているらしく、夏になると肝試しにやってくる不逞の輩がいると聞く。 はっきりいっておくが、ここは心霊スポットではないぞ。「…
こちら、お馴染みの北条時宗公の肖像画。じゃが近年、実はこれ、時宗公ではなく阿蘇流北条氏の北条貞宗であるとの疑義が生じている。そこで今回は、阿蘇流北条氏とはどんな家か、北条(阿蘇)定宗とは誰かを解説してみたい。 満願寺所蔵の伝「北条時宗像」。…
松井優征さんの『逃げ上手の若君』のおかげで北条時行への注目が爆上がり。それによりわし高時の認知度もぐんと上がっておる。ほんとうに嬉しい限りじゃ。そこで、あらためて北条高時の女性関係、時行らの家族について紹介しておく。アニメを視聴する際の参…
知っているようで知らない日本の「国生み」伝説。神話の話ではあるけれど、日本人なら教養として知っておきたいところじゃ。そこで、よい機会なのでちょっと整理、紹介してみるぞ。 小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』(Wikiより)
壱岐・対馬の旅の備忘録として、今回は金田城跡について。NHKの番組で「最強の城」に選ばれ、「ブラタモリ」にも登場した金田城。それでもまだ、全国的な知名度は?じゃが、その圧倒的なスケールと絶景には息をのんだぞ。 金田城跡東南角石塁から黒瀬湾を臨…
壱岐対馬に行って来たので、前回の壱岐に続いて今回は対馬の歴史と旅の備忘録をまとめてみた。対馬といえば、コミックス『アンゴルモア 元寇合戦記』やゲーム「GOAST OF TSUSHIMA」で注目のスポットじゃな。 対馬やまねこ空港
壱岐に行きましたーと、ダジャレなどかましてみたが…過日、所用で壱岐・対馬に行ってきたので、その歴史について調べてみた。壱岐・対馬といえば「国生み伝説」の島で、「壱岐守」「対馬守」なんて官職もあるわけじゃが、今ではどちらも長崎県に属しておる。…
今日はぷらっと大庭に出かけたので大庭景親と景義について書いてみたいと思う。大庭景親は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では國村隼さんが実に味のある演技をしておったな。 國村隼演じる大庭景親(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」)