鎌倉・室町
足利高氏と楠木正成が初めて対面する、ドラマ的にはきわめて重要な放送回じゃったが、見所は終盤にあった。片岡鶴太郎演じる北条高時と小田茜演じる顕子による塗り絵大会は。じつに盛り上がったぞ。
今回は、高氏が藤夜叉とわが子・不知哉丸(後の足利直冬)と再会する、密かに「太平記」推しに人気がある放送回。じゃが、わしの出番はないので、今日は軽く感想をまとめるのみにさせてもらおう。
今回も高時の登場はなし。じゃが、後藤久美子さんの北畠顕家、近藤正臣さんの北畠親房が登場。赤坂城の攻防も、なかなかに見応えがあったぞ。
今回の放送回は笠置での戦が中心なので、高時の出番はなし。ちょっとつまらんが、それでも備忘録がわりに内容、感想をメモしておくぞ。
鎌倉に六波羅から急報。なんでも六波羅勢が後醍醐帝が立て籠る笠置山の攻撃に失敗したというのじゃ。まったく、時益も仲時も何をやっておるのじゃ。
いよいよ後醍醐帝が京を逃れて笠置に挙兵する放送回じゃ。それにしても、今回のオープニング、幕府と御家人の主従関係が元寇により崩れてきたことなどを説明して、それはそれでわかりやすく正しいのじゃが、絵づくりがことさらにわしを暗愚に印象づけ、まる…
今回のタイトルは「宿命の子」。源氏棟梁・足利家の「宿命」を背負った貞氏、高氏、さらには赤子で出てきた義詮、直冬をも含めてのものじゃろう。宿命か。それは足利だけが背負うものではない。わしにもまた北条得宗家という宿命がある。そもそも人間には業…
8「天下将に乱れんとする時、妖霊星と云ふ悪星下って災ひを成すといへり」奥州安藤氏の乱や当今御謀反で北条政権が揺らぐ中、この回は足利高氏が藤夜叉のもとへと馬を走らせたり、赤橋登子が足利に輿入れしたり、夜中に高氏と直義が蹴鞠を始めたり、貞氏パ…
また、鎌倉のいちばん長い日、5月22日がやってきた。そう、今日は鎌倉幕府が滅亡した日。ということで、今日のお題は「なぜ、鎌倉幕府は滅亡したのか?」。
大河ドラマ「太平記」第6回は「悲恋」。子を身ごもった藤夜叉のところに足利高氏が白馬の王子のごとくやってくる青春物語じゃ。もっとも、鎌倉は奥州の兵乱でたいへんな時期だったんじゃがな。
いよいよ楠木正成が登場した第6回。演じるのは武田鉄矢さん。すまぬが坂本金八臭が強すぎるというか、わしの正成のイメージとはちょっと違うんじゃけどな。
謀反を企てた日野俊基との関りを疑われ、足利高氏が逮捕された! 足利と北条が合戦か! 鎌倉に緊張感が走る…… あやうし足利家!! この放送回は、高氏のパパ・貞氏がメインで、ほぼフィクションとはいえ、じつに見ごたえがあったぞ。
いよいよ「正中の変」がはじまった。ちなみに今回は、わし、太守・高時も登場したぞ。
BSで再放送中の大河ドラマ「太平記」第3回の舞台は京都。いよいよ、みかど、後醍醐天皇が登場じゃよ。ただ、前回に引き続き、今回も片岡鶴太郎さんの北条高時が出てこなかったのは寂しいけどな。
BSで再放送中の大河ドラマ「太平記」の第2回は「芽生え」。なんの芽生えか? もちろん足利高氏の恋ということじゃろうが、時代の大きなうねりのなか、いろいろなものがむくむくと…
なんという朗報じゃ! この4月からBSプレミアムで大河ドラマ「太平記」の再放送がはじまった。せっかくなので、わしも感想とかアップしていく。ということで、第1回は「父と子」じゃ。
鎌倉は二階堂の古刹・杉本寺に行ってきたぞ。鎌倉幕府が開かれる500年も前に創建された鎌倉最古のお寺。皇太子時代、今上陛下もここを訪れておられるぞ。
相馬氏の居城・小高城址。南北朝時代に、北畠顕家率いる南朝軍に対応するためにに築城された平山城。わしが訪れた時は人っ子一人いなかったが、ここは「相馬野馬追」で有名なところなんじゃよ。
ちょっと間が空いてしまったが、霊山に登ってきたときのこと。霊山はご存知のとおり、南北朝時代に北畠顕家が義良親王を奉じて陸奥国府を置き、奥州における南朝の一大拠点となったところじゃよ。
今回は久しぶりに「太平記」関連じゃ。ユアスタ遠征の帰路、福島県は霊山町にある霊山神社に行ってきたので、その参拝日記と北畠顕家について記しておくぞ。
鳥栖に遠征の途中、近くに九州南北朝関係の史跡・大保原(大原)合戦場の跡があることを知り、急遽立ち寄ってみた。場所は西鉄小郡駅の下車、市役所のすぐ隣じゃ。 大保原古戦場跡(福岡県小郡市)
博多湾の元寇防塁。蒙古襲来に備えて鎌倉幕府がつくった石築地(いしついじ)をみてきた。ちなみに、「元寇」という言葉は水戸光圀の時代から使われはじめたものなので、最近の教科書では「蒙古襲来」という言葉に置き換えられているらしい。これ豆な。
令和元年の初詣は、材木座の由井若宮へ。平安時代、河内源氏の源頼義公がが前九年の役で東北に赴くにあたり、石清水八幡宮を勧請した。これを源頼朝公が北山へ移したのが現在の鶴岡八幡宮じゃ。元八幡と呼ばれる所以じゃな。なお、このあたりには芥川龍之介…
町田にある東京都指定の旧跡・井出の沢古戦場に行ってきた。中先代の乱で、北条時行軍と足利直義軍との間で、激しい合戦が繰り広げられたと伝えらるところじゃよ。
秦野に源実朝公御首塚を訪ねてきたときのいわば「こぼれコラム」ということで、この地を治めていた波多野氏についてじゃ。
所用があって秦野に出向いたついでに、源実朝公の御首塚がこの辺りにあったことを思い出して立ち寄ってきた。今日1月27日は(旧暦で)実朝公のご命日じゃ。
今さらだが、磐田遠征の往路、小夜の中山に立ち寄ったときのことをアップしておく。小夜の中山は箱根、鈴鹿と並ぶ旧東海道の三大難所の一つといわれた峠で、中先代の乱の合戦場でもある。
福島県白河市の関川寺。ここに南朝の忠臣・結城宗広の墓所があった。関川寺は白河結城家の菩提寺で、開基は宗広と伝えられている。かつてここは結城氏の館だったと考えられており、鎌倉後期の土塁や堀が遺されている。
朝日新聞デジタルに、足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見というニュース。専門家は「尊氏の顔がこれではっきりした」と話しているという。
一年に一度やってくる「鎌倉の一番長い日」。今日、5月22日は新田義貞の鎌倉攻めにより、北条一族が自刃、鎌倉幕府が滅亡した日。正慶2年、西暦でいうと1333年のことじゃよ。